佐藤陽二さんのこと

shirasagikara2012-06-25

2012年5月30日、佐藤陽二さんが天に召された。彼は晩年、カリフォルニア神学大学院日本校総長とか、外国のなんとか大学の博士号をいくつもぶらさげ、きらきらしたものを身につけたが、わたしは、みなに「陽二さん」と親しまれていたころの彼が好きだ。
彼とわたしは、信仰の師・酒枝義旗先生の同門だ、それも先生ご自宅2階奥の和室での「酒枝集会」時代からの友人。彼はその酒枝先生宅の2階に下宿しながら、東神大の前身の神学校に通っていた。
先生の玄関にお客の声がして、2階の和室へ上がる気配を感じると、彼は座布団を2枚2階の廊下に並べ、す〜とほうき代わりに掃いてゆき、端で裏返してまた廊下の端まで押し走り、座布団を窓でパンパンとたたいてお客に備えた。 明るく人なつっこく、いつも前触れなくやって来る。わたしたちの国立国会図書館聖書研究会にも、長く月1回講師をしてくれた。あるとき電話で「入ってないんだよな〜」「なにが」「お金が」。謝礼を入れずに封筒を渡したのだ。「あれでストーブの月賦を払ってんだ」。
彼が1966年から2年、一家を挙げて「米国伝道」のため渡米したとき、わたしは彼の牛込独立教会の日曜礼拝の聖書講義を月1度頼まれた。あとは信徒が交代で講壇を守る。時々帰国すると「牧師がいないほうが信徒がしっかりする。洗礼希望者も出る」と笑った。わたしがまだ勤めていた時代だ。彼に代わって千葉や小岩の十字屋百貨店の朝礼講話も引き受けた。これは上司の許可を得て有給休暇を使った。 1995年、酒枝門下でそろって70歳になった、物理学徒の鈴木皇(ただす)、牧師・佐藤陽二、伝道者・藤尾正人の3人が、くつわを並べ「酒枝義旗先生記念キリスト講演会」を、経堂の恵泉女学園講堂で開いた。先生を慕う400名近い聴衆が与えられた。
彼の福島県伊達の実家をたずねたとき、母上が「ようず(陽二)は、すかたのねえわらすだったす。兄さがいやだというのに追っかけて」と笑った。明治以来のクリスチャンホームだ。彼は「平信徒の熱心な人でも、信仰のこと教会のことは生活の20%くらいしか考えない。牧師、伝道者は80%ほど考えている。ここが違う」と言っていた。彼は牧師になるため生まれた男だ。主に選ばれたまことの伝道者だった。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(2テモテ4・2) <写真は庭のストケシア