「鼻がないアニメ」と「脱原発」

shirasagikara2012-08-06

テレビをつけると、かわいいアニメキャラクターが歌っている。その顔に大きな「目」と「口」はあるが「鼻がない」。いや、あるのもあるが、ごく小さい。
むかし十二使徒群像を彫ったとき、12人の顔に苦心した。顔は目と鼻と口でできている。しかも鼻は、顔の中央を占めて存在感が大きい。日本語でも「目鼻立ち」とか「鼻っ柱」といって、鼻は堂々としている。よく使うことばでも「鼻が高い」「鼻が利く」「鼻につく」「鼻にかける」「鼻であしらう」と、鼻は大事だ。その鼻を消せば、顔でなくなる。しかしアニメの顔は鼻がない。それがまたかわいい。不思議だ。子どもは鼻が小さく、それがかわいい。アニメは子どもが喜ぶものだ。だから鼻も小さいのだ。
あの「サザエさん」の面々も、「鉄腕アトム」も、「ちびまるこ」も鼻は小さい。「クレヨンしんちゃん」は鼻がない。例外は「お茶ノ水博士」の大鼻や、「おそ松くん」の「バカボン親父」のあぐら鼻だ。動物の鼻は丸い。アニメの鼻も「アンパンマン」のように、あっても丸い。それがかわいい。
こんなことを書くのは、それがなくては困ると思っていた大事なものが、すっと消えて、かえって全体がよくなることがあるということだ。
きょうは8月6日。1945年のその日、人類最初の原子爆弾ヒロシマに炸裂した。そのあと日本は、原子力を戦争のためでなく平和のため利用する道を選んだ。そして原子力発電所をたくさん造った。その原発は石油が採れないない日本の希望だった。その発電量は年々ふえ、日本の発電力の25%を越え30%に迫った。それが2011年3月11日、東日本を襲った巨大地震と大津波で、福島原発がやられた。
そして日本人は、いや世界は、原発の怖さを改めて知ったのだ。強い放射能が、地面や森や農地や海水を汚染し、福島では人が住めない。作物が作れない。魚が獲れない。そこで「脱原発」の声がほうはいとして起こった。その声が毎週金曜日、国会や首相官邸を包囲する。
脱原発」。「原発」という日本の発電力の中で、なくてならぬ大きな部分を占めた存在が消えても、かえって全体がいい形になるのではないか。
「無くてならぬものは多くはない。いや一つだけである」(ルカ10・42 口語訳) <写真は庭の南天の花>