皇居一周ジョギングの始まり


8月7日と9日、白鷺の自宅に新聞社が取材に見えた。7日は「日本経済新聞社」、9日は「東京新聞社」。用件は「皇居一周ジョギング」のことだ。
皇居の周りを走るのが評判になって、歩道が混雑しふつうの歩行者が難儀するほどだという。皇居に近い帝国ホテルが、1泊して朝食前に皇居一周ジョギングのツアーを組むと、地方からも、一生に一度は走りたいという連中もやって来る始末。それに皇居に近い半蔵門や、神田あたりの浴場は、ジョギング客の荷物を預かり、あとで一風呂というサービスまである。
皇居一周ジョギングで、なぜ藤尾かというと、インターネットで調べると「藤尾正人・聖書ばなし」(第2巻)にゆきつくらしい。どちらの新聞社もそのコピーを持っていた。つまり、皇居一周ランニングの始まりをさかのぼると、国立国会図書館の「マラソンクラブ」にゆきつき、その世話役だったわたしにたどりついたというわけ。
ことの起こりは、1964(昭和39)年10月の東京オリンピック。そこでエチオピアアベベ甲州街道を快走し、2時間12分という世界最高記録を出して優勝した。その興奮さめやらぬ11月1日未明、銀座のクラブのホステスやママ連中が、皇居一周競技をやった記事が「週刊文春・11月16日号」に大きく出た。それを読んだ国立国会図書館調査局農林課の石見尚君が「女性が走るのなら、ぼくも」と走ってみたら、25分くらいで走れた。それじゃと走りだしたのが始まりだ。翌年春には30名ほどの職員が走り、1966年には国立競技場を借り、50人で公式記録会もしている。
皇居一周ジョギングには、ほかにはない魅力がある。なにしろ片や桜田門半蔵門などの江戸城の門や櫓や濠、片や中央官庁や丸の内オフィス街、近代美術館に英国大使館、国立劇場最高裁。その日本の中心を走るのだ。それに「走り」は、味を覚えるとやみつきになる。苦しいけれど楽しいからだ。キリスト信仰も同じ。やみつきになる。イエスとともに走るのが楽しいのだ。
「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。](コリントI / 9: 24)(なお「日本経済新聞社」は8月21日朝刊「首都圏欄」に、「東京新聞社」は8月22日朝刊「東京トリビア欄」に掲載予定) <写真は1966年12月20日の「スポーツニッポン」の国会図書館ラソンクラブ紹介記事>