「女はバカだ」講演会と「梅ちゃん先生」の母

shirasagikara2012-08-27

いま評判のNHKの朝ドラ「梅ちゃん先生」を見ていて思いだしたことがある。
むかし国立国会図書館で、職員研修も担当する企画教養課長だったころ、かつての親しい同僚で、当時立教大学にいた神島二郎教授に職員むけの講演をたのんだ。彼が「日本人の結婚観」(筑摩書房)を出して評判だったからだ。演題は忘れたが、わたしが彼を紹介し講演を聞いていると館長室によばれた。長い案件がやっとすんで小講堂にもどると、もう講演は終わり、ちょうど職員組合の女性委員長が立って「ほんとうに神島先生は、女はバカだとお思いですか」と質問を始めたときだった。壇上の神島二郎は、タバコを灰皿で消してたちあがり「ほんとうにバカだと思っています」と答え、「そのわけを申しましよう」と話し始めた。
「わたしが大学で研究助手を募集したところ、若い主婦が何人も応募された。理由を聞くとお金のためではなく『意義ある仕事をしたい』とのこと。しかし研究助手は命令されたことをやるだけで、それほど意義ある仕事ではない。家庭の主婦は一家を差配し、金銭の管理、毎日の家族の献立、部屋の飾りにも独創性が発揮でき意義ある仕事です。なにより、子どもを育てるすごい仕事をまかされている。それをすてて研究助手が意義ある仕事という女をバカだというのです」「しかし先生、子どもは専門の保育士にまかせればいいのです」「いや、3歳くらいまでは母親が必要です」。講師と委員長の論戦がつづいた。
そのあと「女はバカだ」講演会は館内で議論を巻き起こし、こんな講演を企画した企画教養課長が悪いと、組合の婦人部がわたしの机まで抗議にきた。しかし、わたしは神島二郎の意見はもっともだと思う。「梅ちゃん先生」で母親の芳子が、家庭内での存在意義を見失い少しもがいた。しかし主婦は、水のような、空気のような、平凡で偉大な「家庭総合職」だ。一家は主婦なしに成り立たない。回らない。その「置かれた家庭で」輝けばいい。イエスも「ともし火は燭台の上に『置く』」といわれる。
「そうすれば、家の中のもの、すべてを照らすのである」(マタイ5・15) <写真は庭のぎぼうし>