新約聖書を70日で翻訳したマルティン・ルター

shirasagikara2012-09-10

夏目漱石が、名作「坊ちゃん」を書いたのは彼が40歳の春だ。明治39(1906)年3月半ばから、わずか15日で書き上げた。これを知って、さすが漱石と驚いたが、かのマルティン・ルターが「新約聖書」をドイツ語に翻訳したのが、たった10週間と読んだとき、たまげた(「マルティン・ルター ことばに生きた改革者」徳善義和著・岩波新書 2012年6月刊)。日本の新共同訳聖書で480ページもある新約聖書を、わずか70日で翻訳するとは人間わざではない。まさに神わざ。しかも名訳。現在、ドイツのプロテスタント教会の礼拝で朗読される聖書は、500年前のこのルター訳聖書だという。
1517年10月、ルターが95箇条の提題を発表して宗教改革の幕は切って落とされる。以後ライプツィヒ討論、教皇庁からの破門、神聖ローマ帝国皇帝の喚問とつづいた激動のその直後、彼は突然姿を消した。彼を騎士ヨルクの名でかくまった貴族がいたのだ。それが1521年12月から、22年3月にかけての10週間だ。ルター39歳。その間に「新約聖書」をドイツ語に翻訳し切ったのだ。
当時カトリック教会では、民衆が礼拝に出ても、司祭がラテン語で語る呪文のような話を聞かされていた。仏教の梵語のお経と同じだ。ルターは修道院や大学でラテン語聖書を読みふけるうち、人間の努力を溜め込んだ「教会の宝」ではなく、神から差し出されたキリストの恵みで救われることを悟った。それが十字架だ。宗教改革はこの「十字架の神学」をテコに欧州をひっくり返した。
ルターは「ウルガタ版ラテン語聖書」「エラスムス校訂・ギリシア新約聖書」「エラスムス訳・ラテン語私訳」を使い、猛烈な勢いで翻訳した。「キリストの福音をドイツの民衆に」という熱情が狂ったように彼を追い立てたのだ。その後彼は旧約聖書も翻訳し、1546年、63歳で召されるまで、その翻訳の改訂をつづけた。
神さまは、これぞというとき、これぞという人物を、ご自身のために起こされる。ドイツでも、日本でも、イスラエルでも。
「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を<自分のために>残しておいた」(ローマ11・4)