パウロの誇り「見て、見て、すごいでしょう」

shirasagikara2012-09-24

新共同訳の新約聖書には、「誇る」とか「誇り」ということばが71回も出てくる。そのうち、なんと66回がパウロの手紙だ。あとは「ヤコブの手紙」に4回、「ヘブル人」に1回だ。これでパウロ自身、誇り高い人物だったことがわかる。そのパウロがその誇りをひどく傷つけられたらしい。「第2コリント」にはこうある。
1)パウロという男は面とむかっては弱々しいが、陰では威張っている。2)彼は文章はうまいが、話はつまらん。3)彼は「使徒」だと言っているが、ペトロやヤコブの大使徒と比べ2級、3級の使徒だ。4)集めた献金をかすめている(10章1、10、11章5、8)。
ここでパウロは、猛然と反論する。それが11章の21節から19節だ。「話がつまらん」とか、「外見は弱々しい」とか言われても屁でもないが、「2級の使徒」だといわれてパウロはぐっときた。じょうだんじゃねぇや。大使徒だといわれる連中に「少しもひけはとらない」「話はへたでも知識では負けないぞ」と反撃する。とくに「献金をかすめ取った」と言われては腹に据えかねる。それが「第2コリント」11章16節以下だ。
パウロ自身「恥ずかしながら」「気が変になったように」と、声を荒げて怒鳴る。
「苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったこともたびたびで、ユダヤ人から40に1つ足りない鞭を受けたことが5度、鞭で打たれたことが3度、石を投げつけられたことが1度、難船したことが3度」と、堰を切ったように、たたみかけて啖呵(たんか)を切る(23節以下)。
使徒の中で、パウロほど働いた人物はいない。それを中傷する小人物がいたのだ。しかしパウロは、こんなに誇れる伝道実績がありながら、最後は「主を誇り」(第1コリント1・31)、「キリスト・イエスを誇り」(フィリピ3・3)、「十字架を誇った」(ガラテヤ6・14)。ちょうど子どもが、ママに「見て、見て、すごいでしょう」と自慢するように、「見て、見て、キリストはすごいでしょう」と、主を指差したのだ。
「知識は人を誇らせ、愛は徳を建てる」(第1コリント8・1)<写真は庭の彼岸花・2011年9月24日>