武川村のカンちゃん

shirasagikara2012-10-01

カンちゃんこと飯野勘次郎さんは、埼玉県大里郡武川村の農民だ。農民だが政治意識は高く、東方会の中野正剛に私淑し、正剛の東条首相批判講演会のビラまきで警察につかまり即・海軍に召集を受け殴られた。正剛は「戦時宰相論」(朝日新聞1943年元旦)で東条を激怒させ逮捕、自決。敗戦後復員して正剛の岳父・三宅雪嶺をたずねると「これからは早大教授の酒枝義旗先生の教えを聞くように」と言われて鷺宮の先生の門をたたいた。
酒枝先生は当時から熊谷の八木橋デパートの従業員に、月いちど聖書講話に行かれていたから、カンちゃんの村まで時々たずねられたらしい。それがわかって先生の弟子たちが交替で毎月集会するようになった。
わたしはほぼ毎月たずねたが、国立国会図書館の同僚の石原義盛さん、物理学徒の鈴木皇さん、気象学徒の内田英治さん、作曲家の島岡譲さんらもよく武川へ行かれた。上野で落ち合い熊谷から秩父鉄道で「武川」という駅で降りカンちゃんの農家に向かう。集会はむろん夜だ。その前に夕食をいただく。夏など明け放した障子のかなたの闇の桑畑から、部屋の電球めがけて「かなぶん」が一直線に飛び込む。時には食べている顔や頭に飛びつく。
集会は夜8時からと知らせても、農民が農作業を終え夕食をすませて集まるのはたいてい9時すぎで、終わるのは12時前だ。それでも敗戦後の1950年台、6〜7名の農民、それも現青年団長、前青年団長、元青年団長と村のリーダーが集まった。農業労働の賛美歌を歌い、聖書を語りキリスト信仰を証し、質問に答え雑談する。
ここで酒枝先生がよく言われた「カンちゃんにも分かる聖書の話」が大事になるが、よくもあんな下手な話を聞いてくれたものだ。ただ福音の喜びはあった。わたしはそれ以後、文章を書くとき「カンちゃんにも分かるかな」と気になった。
無教会の蚕糸試験場部長・浜田成義先生を招いて講演会もした。県が頼んでも来てくれない先生だと小学校の会場は超満員。待晨集会の照沢惟佐子さんが小学校のピアノを弾くと、同じピアノでこんな音がと騒がれた。わたしたちのあと画家の井崎昭冶さん、学研の岩谷清水君が熱心に通い、ガリ版の「月刊・武川こども新聞」まで漫画入りで発行した。わたしにとり話すこと、書くことの原点になった武川村だ。
「語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」(使徒18・9) <写真は庭の彼岸花・2012年9月30日>