「いそちゃん」からの手紙

shirasagikara2012-10-08

わたしが葉書を出すさい、いつも「返事不要」と書くのに、「いそちゃん」から「郵便書簡」が届いた(9月25日付)。50年近いまじわり。信仰の友、いや信仰の先生だ。
いそちゃんが、こんなながい30行もの便りを書くのはたいへんのはず。彼女は右手首に力がないから、手紙を書くとき、机の前にぺたんと坐って、左手で右手を机にのせてからペンをにぎる。彼女の書く1行は、わたしの10行にまさる。
「神様の限りないお恵みを感謝申し上げつつ、先生ながいことご無沙汰です」で手紙ははじまる。そしてこの夏、ご主人が体調をくずして同じ国立療養所内の病室へ移されたこと。そのための「部屋のかたづけに、のびかげんのところ、暑いこと、暑いこと。キリストさまのお支えのもとで、ひとつ、ひとつ、やることが出来た」と喜ぶ。この「ひとつ、ひとつ」の言葉が重い。彼女の右足は以前コルセットをはめていたが、いまは脱いでいざっているはずだ。その不自由なからだで部屋中、畳の上を動きまわっている姿が目に見えるようだ。
「主さまにつながる皆さまのお祈りにたすけられ、九十才をむかえることが出来、とてもとても素晴らしい九ヶ月でした」。ハレルヤ、いそちゃんが卒寿だ。むかしハンセン病の方は長生きできないといわれた。しかしいまは長命になった。栄養がよくなり、生活環境が改善されたからだ。まえはここに600人もいた患者が150人に減ったが、療養所の医師、看護師、介護士、職員は以前と同じ160人で、じつに手厚い介護をうけている。患者が減ったのは、ハンセン病が治まり、多くの入所者が退所したからだ。それと死亡。
「あれもだめ、これもだめで、がんじがらめには、私もいささか困ってます。車いすも自由に使えないし、自分の物としても買い入れ出来ず」と嘆いたあと、「すべては最善でしょうから」と結ぶ。そして「先生ご免なさい。ぐちになりました」と謝る。しかし、ぐちの聞き役が伝道者だ。ぐちるといい。
あの福音の喜びを「炊飯器」のスイッチにたとえた女性は召された。「感謝なことに」と、自分の右手の指が3本残っていると感謝された男性はいま病室暮らし。この療養所で、どれだけ信仰の教えを受けたことか。「いそちゃん、また会いたいね」と返事。「返事不要」で。
「遠い国から来るよい消息は、かわいている人が飲む冷やかな水のようだ」(箴言25・25 口語訳)<写真・建物の左端が「いそちゃん」の部屋>