「だのに」と「だから」の法則

shirasagikara2012-11-12

むかし、毎年5月1日、茅ヶ崎の五十嵐家に招かれて「五十嵐健治、ぬひ記念会」に交わった。健治翁はクリーニングの白洋舎の創業者。ぬひ様はそれを裏で支えた夫人。5月1日はぬひ夫人の命日だ。
健治・ぬひ夫妻のお子様は、男性6人、女性6人と12人。記念会にはお子たちだけでなく、その男性の夫人方や、長男の孫夫妻も出席されるから、初めはだれがだれだかわからなかった。しかしお孫さんの結婚式をいくつか頼まれているうちにやっと顔と名前が一致した。
ところが、だんだんわかってきたことは、女性6人はもちろんのこと、男性6人もその夫人をふくめすべてクリスチャンだったことだ。両親が熱烈な信仰でも、12人もおれば、一人や二人、親に反発して信仰から逸れそうだが、お見事。
あるとき、3男の光喜様に「どうして12人そろってクリスチャンなのでしょう」とたずねた。「主様のあわれみですよ。ぼくなんか親父に反抗して、慶応の学生のころ、家の近くの小田急に飛び込み自殺するとか、共産党に入って困らせようとか考えたほど。しかし親父が、むかし自分がキリスト信者になったのは今の共産党入党と同じだと諌められました」。
それに信仰の継承は、親の影響もさることながら、「大家族だから」上の兄、姉たちの感化が下の弟妹へ及びうまく機能したのかもしれない。親は子どもが多いと、細かなことで叱るひまがなく、大きなことだけ注意するようになる。「大家族だのに」と思ったが「大家族だから」の力も働いていたのだ。「だのに」と「だから」の法則だ。
上司に「この仕事だれに頼みますか」「一番忙しいやつに頼め」というあの法則だ。忙しい人「だのに」と思うが、忙しい人「だから」処理能力が高いのだ。作家の三浦綾子さんが連載執筆で忙しい「のに」、いや忙しい「から」さっと読者の手紙にすべて返事を書かれたのと同じだ。五十嵐家の長男・丈夫様は、大会社の社長「だのに」小さな教会の会計係を長年こなされた。忙しい「から」手際よく処理されたのだ。
キリストは、尊い神の子「だのに」十字架で死なれた。いや、神の子「だから」すべての人を救う力に満ちておられた。
「キリストは、神の身分「だのに」、しもべの身分になり、十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2・6) <写真は庭のサザンカ