いそちゃんに会う、指先が使えない

shirasagikara2012-12-03

11月26日(月)いそちゃんに会ってきた。むかしわたしが「恩寵と真理」というキリスト教雑誌の編集をしていて、その読者をたずねて面会したのが最初だ。もう50年も前。そのころは、いそちゃんも元気で、さっさと歩いていた。当時この国立ハンセン病療養所には600人も患者がいて、燃えるようなキリスト信仰があり、手づくりで大きな会堂を建てた。若い患者は屋根に上がって仕事をした。
そのあと遠近の教会婦人会や、大学のコーラスが慰問におとずれ、伝道者・牧師が会堂で集会をした。しかしそれは「教会堂まで」たずねるだけだった。わたしも始めは来園者用の宿舎に泊まり、日曜の朝、礼拝の話をして食事をともにし、集会に出られない重症者の部屋を訪ねるくらいで終わった。10年ほど前から、患者が高齢化して日曜礼拝に出られなくなり、外部から伝道者・牧師が訪問する集会は消え、いまは少数の信者が会堂で自分たちで礼拝している。
そこで、わたしは個人としてまじわりのあった信者の方々をたずねるようになり、「お部屋まで」入りこんで話しこんでいる。すると、これまで分かったつもりでも、ほんとうに分からなかったことが見えてきた。たとえば、いそちゃんは手も、足も、目も不自由なことは知っていた。しかし近くで見ると両手の手のひらで、すべての物事をこなしている。指が曲がって伸びないからだ。数年前はお茶を出したり柿をむいてくれたのに。
いざって、後ろのふすまを開け、きれいに整理された棚から箱を取り出すのも、わたしに飲むヨーグルトを差し出すのも、紙を取り出すのも手のひら。「先生、字が書けなくなりました」という。この9月には長い手紙が書けたのにと思う。
東京へ帰って手先の指を見つめた。これが使えないと、パソコンのキーはたたけない。落とした鉛筆をひらうのもたいへんだ。かゆいところを爪でかけない。戸の開け閉め、箸の上げ下げに始まり、朝から晩まで指先のお世話になっている。その不自由を、不平ひとつなく、イエスさまを仰いでこなしている、いそちゃんは、やはり「わたしの信仰の先生」。
「忍び抜いた人たちは幸いである」(ヤコブ5・11、口語訳)<写真は庭の吉祥草>