被害者は痛みを忘れない

shirasagikara2012-12-10

国立ハンセン病療養所を見学に来た県立女子高校生一〇数人を、キリスト教会の患者代表が、一列の輪に並ばせ、両手をつながせました。そして「左手の力はまったく抜いてください。そして、わたしが『はい』と声をかけたら、右手で右の人の手を、思いっきり握ってください」。そして「はい!」の声で全員が「ぎゃっ!」と叫んだそうです。
右手は相手への攻撃の手です。左手は相手から受けた被害の手です。そして人は相手を苦しめた攻撃の手は快感を覚え、受けた被害の手は痛みを覚えるのです。ハンセン病患者が、長年受けた差別の苦しみは、差別した側はけろりと忘れていることへの体感教育でした。
さきごろ、上海のクリスチャンの友人からメールが届きました。彼女の娘さんの手描き一枚の作品です。高校の歴史の授業の課題で、何時間もかけて描いたといいます。そこには「読売新聞」と上欄にあり「九月一九日 土曜日 一九三一年(昭和六年)」とあります。
この日の前日、日本の中国駐留・関東軍は、中国東北部満州)の大連〜ハルピンを走る南満州鉄道(日本が経営)の柳条湖駅近辺で鉄道を爆破し、これを中国軍のしわざとうそを言い、中国軍を攻撃しました。満州事変のぼっ発です。この一九三一年九月一八日は、中国人にとり、一五年にわたる日本の中国侵略の発端の日として忘れられない「国辱記念日」です。
娘さんの手書きの新聞には、大きく鉄道線路が爆破されている絵、下には逃亡犯三人が日本警察に連行される絵があり、右には競馬や、相撲力士や広告が画かれ、本文は英語です。一六歳の高校生としては歴史意識は高く英語力も優れています。
日本の高校一年生に、日本の中国侵略の発端の「満州事変」の知識は乏しく、高校生どころか政治家たちさえも、中国への加害に心痛める者はいません。被害者は「左手の痛み」を忘れませんが、加害者はけろりと忘れるのです。
しかし神さまは公平です。ゆえなく他国や他人を攻撃、侮辱したものへの報復は、ちゃんと取ってくださいます。こわいほどに。「復讐はわたしのすること。わたしが報復する」(ローマ12・19)
<写真は近くの白鷺ハイム(旧ルーテル神学校)のクリスマス巨大電飾>