「右の頬を撃たれたら」

shirasagikara2013-02-11

高校のバスケット部主将が体罰のあと自殺した。女子柔道選手団が体罰で監督や柔道連盟を訴えた。体罰は強者の弱者への暴力だ。暴力は無抵抗の相手を侮辱する。侮辱は心も傷つける。日本に徴兵制度があったころ、日本の青年は20歳で軍隊へ入ると古兵にガンガン殴られた。
わたしが入ったのは、香川県の船舶幹部候補生隊第二中隊第四区隊。同じ区隊にのち俳優になり「赤ひげ」にも出たデブの千葉信男が、となりの区隊に「野火」で有名になった船越英二がいた。それは1944年に出来た、短期将校養成の特別甲種幹部候補生(特甲幹)第1期で全員学徒兵。最初から下士官待遇。
ある夜の点呼で一人の戦友の失態が発覚。1年前の「学徒出陣」出身で区隊付になった見習士官が、「連帯責任だ!」と40名の区隊全員をげんこつで殴った。殴るうち人格が変わったように猛々しくなり、わたしの番になったとき目も血走っていた。20人も殴って手も疲れたろうと安心していると、急に拳を左に替えて力まかせにわたしの右頬を撃った。ピカ!ピカ!と目から火花が飛んだ。耳がグア〜ンと鳴った。88歳の今も右耳が弱い。今だに殴った見習士官の名前は覚えている。京都大学生だった。怨みはないが殴られた記憶は長く残る。
新約聖書の「マタイ福音書」5章に「だれかがあなたの右の頬を撃つ(ラピザイ)なら、別の頬をも向けよ」とあるが、わたしの右頬を見習士官は左手で殴った。右の頬は左手でしか殴れないと、そのときわかった。
ところがずっとあと、右の頬を右手でも殴れることを知った。つまり「平手撃ち」の「右の手のひら」は握りしめて、「右手の甲」で力いっぱい相手を殴ればよい。聖書では、この「手の甲撃ち」のほうが「平手撃ち」より相手を侮辱することになるという。殴られることは侮辱を受けること、しかも「手の甲撃ち」で、さらにひどく侮辱されても、無抵抗を貫けという教えだ。しかし、そんなことが、人間すらすらできるようなら、キリストは十字架で死ぬ必要はなかったのだ。高い教え、出来ない人間、それを救う神の愛。それが十字架だ。十字架から聖書を読み解くのだ。
「『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし悪人には手向かってはならない」(マタイ5・38)<写真は庭のサザンカ