東京スカイツリーと東京大空襲

shirasagikara2013-03-11

3月6日、初めて東京スカイツリーに昇った。東京・埼玉の旧国名・武蔵(むさし)を数字にした634(ムサシ)メートルの世界一高いテレビ塔だ。地上350メートルの第一展望台まで40人乗りのエレベーターで昇る。わずか50秒。さらに450メートルに第二展望台。いずれも塔の外側に巨大な回廊があって360度地上を展望できる。
雲ひとつない快晴。眼下に海まで帯を流したような墨田川と、下町の浅草寺、上野公園、両国国技館が見える。遠くはお台場、品川、赤坂、新宿、池袋の高層ビル群。遥かに白雪の富士山。
わたしは墨田川の橋を眺め、1945年3月10日の米軍の東京大空襲を思った。この橋のいくつかでは、猛火が生んだ烈風で市民は立ったまま黒焦げになり、川面は溺死者で満ちた。むかし本所区深川区浅草区とよばれた下町が、B29戦略爆撃機344機が投下した38万発の焼夷弾で焼き払われ、10万人の市民が一夜で焼き殺された。
当時、わたしは四国の兵営にいたが、隣りに寝ていた戦友の伊東猛夫君は実家が本所区で、請願休暇を取り上京。帰隊した彼は「家族は全滅。米軍は残虐にも市民が逃げられないように周りから焼き、本所区で残った建物は蔵三つだけ。見わたす限りの焼け野原と死体の山」と語り、わたしに「日本は負ける。こんな戦争で死ぬのはいやだ」と言って、以後「死ぬ」という歌詞の軍歌は歌わなかった。東京商科大(一ツ橋大)の学生だった。入隊時提出調書の「尊敬する人物欄」に、わたしは「キリスト」と書き、伊東君は「リンカーン」と書いて、「敵国の宗教」「敵国の大統領」と上官に絞られた仲。
この市民無差別虐殺の総指揮官カーチス・ルメイに、1964年、佐藤栄作内閣は勳一等旭日大綬章を授与。航空自衛隊育成が理由だ。昭和天皇は宮中親授式を拒否した。日本全国229ヵ所を蜂の巣のように爆撃し60万人を殺した張本人。人道の罪で裁かれるべき人物だ。ただ彼は、中国の重慶にもいて日本空軍の重慶無差別爆撃を知っていた。
日本のハイテク技術の粋を凝縮したスカイツリーは、東京大空襲で10万人が死んだ土地の上に建つことを記憶したい。天を衝くランドマークも永遠ではない。
「主よ、あなたこそ、永遠に高くいます方」(詩篇92・9)