武士道の山

shirasagikara2013-04-01

「武士道」を書いた新渡戸稲造に「武士道の山」という短文がある。いずれも原文は英語だが、「随想録」に収められていて、図書館へ行かなくても電子書籍で無料で読める。
その山は五つの地帯にわかれる。「ふもと」から「中腹」へのぼり、「高地」から「頂上近く」に至るが、その上に「至高」の場所がある。五つの地帯にはそれぞれの軍人がいる。
ふもとには「兵士」が群れる。粗野で腕力に勝る猪武者だ。中腹には「下士官」がいる。尊大で親分肌、抑圧を嫌うが戦場では勇敢。高地には「将校」がいる。多少本も読むが、科学知識は新聞紙を越えない。頂上近くには「将軍」がいる。威厳と自信に満ち、部下には愛よりも上からの目線で憐憫をそそぐ。親切聡明だが、彼の意見や語録は彼を離れると忘れられる。
その上の至高の場所に「武士の最高の人々」がいる。彼らは柔和で軍人らしくない。ほとんど女性と間違えられるほどで、むしろ凡人と見なされる。尊大でなくだれとも交わる。態度は優美典雅で、その愛情は目に輝き口に震う。彼らが来ると薫風が吹きわたり、去ればぬくもりが残る。学問は深いのに誇らない。恩をきせずに守る。説得せずに納得させる。助けないようで補う。薬なしに癒す。論破しないで信服させる。また子どものように遊び笑う。彼らがわずかに笑っても、なえた霊魂は生き返る。彼らが泣くと人の重荷も洗い去られる。そしてこれら最高の武士がいる地帯は、基督信徒のいる地帯と同じだ。
この「至高の人々」を読んで「こんな人、知ってる」と思った。わたしの周りのあの方、この人。少なくても三人、いや四人。親切だのに恩に着せず、愚痴がない。柔和で、学識は深いのに、てらわない。ともにいると暖かく、高められる。そして、この至高の方々は、キリストの姿と似通っている。いや、キリストはその上を行く。なにしろ十字架と復活で全世界を救ったのだから。今年のイースターは3月31日、復活祭おめでとう。
モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」(民数記12・3) <写真は庭のツバキ>