レプトン銅貨2枚の「財布全額献金」

shirasagikara2013-05-06

エスエルサレム神殿で「賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた」(マルコ福音書12章)。そこへ、服装、髪型から貧しいやもめとひとめでわかる女性が近づいた。イエスが驚いたのは、そのこぼれるばかりの笑顔だった。その女性はイエスの前で、首から提げた布袋を逆さにして、レプトン銅貨2枚を手のひらに乗せた。日本のお金で200円だ。彼女は、右や左の大勢の群集が、大きな朝顔の花型の賽銭箱に金を投げ入れるのに混じり、にこにこ顔で銅貨2枚を投げ入れた。
少ない献金を恥じない。人と比較しない。喜んでいる。しかも、イエスにはそれが「生活費全部だった」とわかっていた。これは、よほど神の恵みを喜び、主を喜ぶ心が熱くないと出来ない。間違ってはいけない。「レプトン献金」とは「少額献金」のことではない。「財布全額献金」「自分差出献金」だ。
ここでイエスは、ひとつの法則を宣言する。「小さなものが、大きなものより、もっと大きくなる」。逆にいえば「大きなものが、小さいものより、もっと小さくなる」という法則だ。そうだ、献金は喜びと感謝がこもっていれば、少額でもずずっと大きくなり、額を誇る心があればずずっと小さくなる。だから高額の献金はひとに知られないように「小さくする」配慮が大事だ。ある方が「預かりました」と多額の匿名献金をわたしに渡された。ご自分の献金だったとあとでわかった。「神さまから預かった」の心だ。
わが家で酒枝義旗先生の日曜聖書講義がつづけられていた60年前のころ、いま和声学の大家になった作曲家の島岡譲さんが、福音を聴いたあまりの喜びに、玄関にあった献金箱に有り金全部を入れ、外へ出て電車賃がないことに気づいた。しかし彼は、鷺宮から池袋に近い椎名町までの10数キロを喜びにあふれて歩いたという。福音の喜びが、この女性のように、島岡さんのように、「財布全額献金」をさせるのだ。聖書はすごい。
「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた」(マルコ12・43)<写真は庭の紫蘭