松田敏子さんの「有り金全額献金」

shirasagikara2013-05-13

「財布全額献金」のことを前週のブログで書いたあと、松田敏子さん(1921年ー2008年)もそうだったと思い出した。
松田敏子さんが和歌山女子刑務所の刑務官だったころ、全国の女子刑務所から選ばれた女囚20名を、大阪府の縫製工業団地の女子寮の1棟に交替で住まわせ、縫製会社の制服で働かせる、開放施設方策が始まった。彼女はその寮長となった。
そこへ若い女性刑務官が配属された。その女性が彼女に「女囚に聖書の話をしていいですか」と聞いた。刑務官の宗教活動は厳禁だったし、松田さん自身お寺の僧籍もある仏教徒だったが「いいですよ」と許可し、自分もそのクリスチャン刑務官の話す集会に出た。話を聞くうち、だんだん心がキリストに傾き、自分で和歌山の教会へゆくようになった。
そして49歳のクリスマスに、その教会の大きな池に入って洗礼を受けた。あまりのうれしさに、ちょうどその日出た冬のボーナスを、そっくり教会に献金したという。女子寮に帰るため電車の駅まで来て、切符を買おうとして懐中無一文に気づいた。幸い電車の回数券があったので、なんとか電車に乗れた。もう日が暮れて暗くなっていた。
彼女は、ふっとその電車の窓ガラスに映る自分の顔を見て「あなた、どなた様」と思った。あまり喜んでいたので、自分の顔とは思えなかったという。彼女の喜びかたはケタはずれで、その喜びを見て信仰を持つ女囚が続々あらわれ、女囚の家族もその生活態度の変わりように驚き、女囚、家族で洗礼を受けた者が100名は下らなかったという。
松田敏子さんは、刑務官を退職したあと、伝道を志して台湾へ渡り方々の教会で奉仕した。そのめちゃくちゃに喜ぶ姿は台湾のクリスチャンに愛され、大きく用いられた。
彼女は、2万円あると「どなたに差し上げようか」と考え、いつも何も持たないようで、満たされていた。無手勝流のキリスト信仰の達人だった。晩年は日本へ帰り、浜松の聖隷三方原病院で召された。喜びの伝道者だった。喜びが「有り金全額献金」をさせたのだ。
「悲しんでいるようで、常に喜び、物乞いのようで、多くの人を富ませ、無一物のようで、すべてのものを所有しています」(第2コリント6・10)<写真は塀のジャスミン