句集・秋茜(あきあかね・赤とんぼ)

shirasagikara2013-05-20

勝原文夫君が第四句集「秋茜」を出した(白鷺えくれ舎 2013年4月刊 袖珍判 90p)。赤表紙に金文字は彼の装丁だ。彼とは65年来の親友。彼の専門は農業経済。1987年に国立国会図書館調査局を退職後、新設の徳山女子短大の教授に迎えられ、その学長も7年勤めた。彼は師友、親族にクリスチャンが多かったのに教会の門は叩かなかった。そのころの彼の句。「入学式無神論学長『聖書』引く」「主義として叙勲辞退す菊日和」(勲三等重光章を辞退。当時国立国会図書館調査局のかつてのわたしの同僚には、勲三等叙勲を辞退する者が相次ぎ担当者をあわてさせた)。
それが2005年、愛妻を交通事故で亡くし心弱きを覚えたに違いない。「もたれたき柱もあらず春うれひ」「沈思してひとり聖書を雪の夜」「夜半の秋孤愁迫ればただ祈る」「窓際に新約聖書小鳥来る」など、信仰への傾斜の句を作っている(2008)
さらに2009年春、喉頭がんの疑いがあり、わたしに葬儀を頼み、それが杞憂に終わったころから、月1回わたしは彼をたずね聖書の話を始めた。「春風にのりて讃美歌『主われを愛す』」「さやけしやひとり祈るも『南無アッバ』」(注・「南無アッバ」の「南無」は、まかせ帰依する意味。「アッバ」は「アバ父」の聖書の神)。そして2009年12月14日、勝原君は、わたしと、彼の長男の嫁・宏子さんの前でキリスト信仰を告白した。「信仰を告白の夜や星冴ゆる」。
本書は彼のここ7年の作句から200余句を選んだもの。「卵割る見事に割れし八・一五」「立冬や机上に手擦れ歎異抄」「佳き男たるはむずかし懐手」「ペン胼胝(たこ)もいつしか薄れ春の果て」「その紺は誰にもらふや秋茄子」「マルクスの端本夜店に買ふ男」「友の彫る十二使徒像聖五月」「炎帝の一途の励みご勘弁」「友逝けり燗熱うせよ熱うせよ」「詩神ともわが杖先に赤とんぼ」「秋茜群れる溜め池播州路」
彼は近年、転んだり肺炎などで入退院をくり返したが、しぶとく回復し「秋茜」の刊行をみた。「リハビリやヨチヨチ歩く子鴨ゐて」「時の日や病者に刻のあるものか」「今日もまたデーケア通い炎昼裡」。『死に仕度』は彼もわたしも準備万全。彼の葬儀万端打合わせ完了。「いまひとつ死という大事冬の果て」。 この9月には卒寿だ。
「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」(フィリピ1・21)