マタイさんが好き

shirasagikara2013-05-27

マタイさんは、ユダヤという国の税務署の役人でしたが、イエスさまに呼ばれて仕事を辞め弟子になりました。公務員は一度退職すると、もとの仕事に戻れません。ガリラヤ湖の漁師だったペトロをはじめ四人の弟子は、十字架・復活のあと「漁に行こう」と、またもとの漁師になろうとしますが、ここがマタイさんと違います。
マタイさんは、ユダヤ社会の中で「下の下」の身分でした。「最上級は祭司」「上は熱心な信徒」「下は信仰不熱心な地の民」「下の下は罪人・徴税人や遊女」です。
マタイさんは、その差別をはね返そうと努力し、大勢の友人を招ける大きな家を持ちました。そこへ招待されたイエスさまは、パリサイ派から「なぜこんな『下の下』の連中とめしを食うんだ」と批判されます。すると「元気者に医者は要るまい。要るのは病人だ!わたしは君たち立派なお方でなく『こんな連中、いなくなればせいせいするぜ』と思われる人のために来たんだ!」と宴会場で叫ばれます。「下の下」の身分のマタイさんは身震いして感激し、イエスさまのため働く決心を固くしたでしょう。
そのマタイさんは、聖書の中で無言です。新約聖書の書き出しが「マタイ福音書」ですから、わたしなども、よく「マタイ何章」と口にしますが、本人のマタイさんの声が聞こえません。ペトロも、アンデレも、ヨハネも、ヤコブも、ユダも、フィリポも、トマスも、バルテマイさえ、しゃべります。しかしマタイさんは無言です。無言でいてマタイさんの存在感は大きいのです。「無言の音」でしょうか。
もしマタイさんが居なかったら、聖書の中から、あのすばらしい「山上の説教」が消えます。「ぶどう園の労働者」も、「天国のたとえ話」も、「一〇人のおとめ」も、「疲れた者、われに来たれ」の言葉も無いのです。さびしいですね。
マタイさんは、税務署でペンを執って帳面づけして覚えた「書く才能」をフルに使い、福音書を書き、主に仕えたのです。わたしも、むかし公務員時代、「書くこと」に慣れさせてもらい、また公務員を辞めて主に仕える伝道者にされたためマタイさんが身近なのです。すごい「マタイ福音書」を残し、無言で消えたマタイさんが好きです。「マタイという人が収税所に座っているのを見て『わたしに従いなさい』と言われた」(マタイ九・九)
<写真は庭のバンのマツリ、花は始め紫のち白>