「神殿キリスト教」と「無神殿キリスト教」

shirasagikara2013-06-10

使徒言行録」8章には不思議なことばがしるされています。「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり<使徒たちのほかは皆>ユダヤサマリアの地方に散って行った」。
ふつう権力による宗教弾圧はリーダーから始めます。ところが原始キリスト教では、その中枢の十二使徒団<ドオデカ>は迫害されないのです。どうしてでしょう。「神殿キリスト教」だったからです。迫害されたのは「無神殿キリスト教」です。
使徒言行録」1章は「キリストの昇天」、2章は「聖霊降臨」、3章は「美麗門の癒し」、4章は「ペトロ逮捕と議会演説」。ここで信徒が激増し、教会は消費共産制をとります。その教会秩序のため役員が選出され、その一人・ステファノが殉教しますが、彼は外国帰りのギリシア語を語るユダヤ人のホープでした。
このギリシア語を語るユダヤ人クリスチャンは、エルサレム神殿なしに会堂中心の信仰生活を過ごした「無神殿キリスト教徒」でした。一方、エルサレム原始教会は、十二使徒団や、主の兄弟ヤコブを中心に「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」「午後3時の祈りの時」には神殿に上る「神殿キリスト教徒」でした。彼らは生まれたばかりの教会を守ろうと、宗教権力と妥協し神殿にすりより迫害を免れたのです。
日本でも同じです。1941年12月8日の日米開戦直前、政府の圧力で日本のプロテスタントが大合同させられ「日本基督教団」ができます。その中心にいた指導部は、新教団を守るため当局に迎合して神道にすりより、日米開戦直後の1942年1月11日、富田満・日本基督教団統理は「神社は宗教ではない」と言って伊勢神宮に参拝します。だから迫害を免れ、教団の周辺の教会や無教会信徒が迫害されます。
こうして原始キリスト教の本山ともいうべき「神殿キリスト教」は安泰でしたが、散りじりに消えた「無神殿キリスト教徒」を中心に、福音は外へ、外へと広がります。その中心がパウロでした。そして消費共産制が行き詰まった「神殿キリスト教」は、かえって「無神殿キリスト教」から支援をうけるまでに弱体化します。力は周辺から起こるのです。聖書はおもしろい。
「散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」(言行録8・4) <写真は庭の萱吊草の花>