米国製「孫の手」かゆいところに手が届くイエスのことば

shirasagikara2013-07-01

以前にも書いた北朝鮮の民話。若くして主人に先立たれた女性が、苦労して7人の男の子を育てた。しかし長男は、時々母が深夜に家を抜け出すのに気づく。つけてゆくと母は橋のない小川を、チマ(スカート)をたくりあげて渡り、対岸の小屋に消えた。長男が忍び寄ると中から母の吐息が洩れた。障子の隙間からのぞくと、母は老人に背中を気持ちよさそうに掻いてもらっていた。家に帰った長男は、弟たちに母も一人の女性であることを話し、7人めいめいが一つずつ石を運び、母が渡りやすいように流れに並べた。その7つの石が北斗七星になったというお話。
かゆいところを掻くと、なんとも気持ちいい。皮膚科の先生も「痛みはガマンできても、かゆみはガマンできない」という。老人になると、皮膚の脂分がなくなるのか、やたらとかゆい。掻いて、掻いて、最後はかきむしる。気が遠くなるほど気持ちいい。よだれが垂れるほどだ。手のとどかない背中は「孫の手」で掻く。
あるとき、米国フィラデルフィア日本人教会に、竹製の「孫の手」を数本贈ったところ、「米国にもありますよ」と小型金属製の孫の手<back scratcher>をもらった。日本の浜辺で貝掘りに使う、いささか「ごつい」しろもの。しかし柄を伸ばせば、もとの18㎝が、びゅっと倍の34㎝に伸びる優れもの。旅行にも持ってゆける。<写真・上が米国製、下が日本製の孫の手>
「かゆいところに手が届く」という日本語がある。イエスさまのことばは、まるで米国製のバック・スクレッチャーのように、びゅっと伸びて、人の心のかゆいところを掻いてくださる。「ザアカイよ」とか、「バルヨナ・シモン」とか、「マルタ、マルタ」とか名を呼んで、その心を優しく掻かれる。38年も中風で苦しんだ男への「良くなりたいか」との声も「かゆいところに手が届く言葉」だ。盲人を癒し、ハンセン病を清め、12年間婦人病で苦しんだ女性が癒されたとき、すべて「あなたの信仰があなたを救った」と慰められる。「かゆいところに手が届く言葉」ではないか。イエスはすごい。
「イエスは言われた。『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った』」(ルカ福音書18・42)