アブラハムの「無名のしもべ」

shirasagikara2013-07-08

国立国会図書館にいたころ、当時米国議会図書館に派遣されていた同僚の萩原延寿の報告で、図書館員の大事な資質は「無名に留まる意志」(Willingness to be anonymous)だと知った。利用者に奉仕して裏方に徹する態度だ。こういう人が多い社会や国家は健全だ。旧約聖書にその模範の人物がいる。「創世記」24章で、アブラハムから息子イサクの嫁選びに派遣された「無名のしもべ」がその人だ。
彼は「忠実の人」だ。アブラハムの全財産を善良な管理者として差配する。またひと言も自分のことを語らない。旅の苦労や危険も話さない。ただ主人の心を心として嫁を探す。しかも言われたままでなく、自分の判断を加えて行動する。
彼は「信仰の人」だ。アブラハムが同じ信仰の親族から嫁を求め、信仰継承を願う線上で動く。まず目的の町に着いたとき、地図に頼らず神に頼って祈る。祈り終えないうちにリベカが現れる。主人の結婚の条件は「信仰」だけだったが、彼はそれを「愛」に絞る。旅人に水を飲ませるのはふつうだが、バカ飲みするラクダにまで飲ませる女性を彼は祈りの中で嫁と定めた。リベカは旅人だけでなくラクダ10頭に水を汲んだ。愛の女性だった。
彼は「決断の人」だ。神さまの導きで理想の嫁リベカを探せた。だから「妹様をくださるか、否か」と、リベカの兄ラバンに決断を迫る。彼の決断に押されてラバンも「このことは主の御意志、人間が善し悪しを言えない」と決断する。
彼は「自分を消した人」だ。彼は帰りの道中、自分の知る限りのイサク坊ちゃんのことを詳しく話した。そしてイサクが現れると消え去る。無名のままで。
無名のしもべは「クリスチャンの型」だ。模範だ。イエスを中心に生き、花嫁(求道者)を探してイエスに連れてくる。イエスのことなら「待ってました」と話す。イエスに引き渡して自分は消える。彼は最初から最後まで「無名」を貫く。聖書はすごい。
「イエスは人に気づかれるのを好まれなかった」(マルコ9・30)<写真は門のノウゼンカツラ>