「紙上の教会」と無教会運動

shirasagikara2013-07-29

赤江達也著「『紙上の教会』と日本近代ー無教会キリスト教の歴史社会学」(岩波書店・2013年6月刊)を読んだ。読み応えのある本格的無教会史でもある。日本の敗戦後、無教会が勢いづいた時代、鑑三の弟子の藤井武の弟子・酒枝義旗先生や、鑑三晩年の弟子・政池仁先生の膝下にいて、そこに集うはたち代の友人たちとの交流に包まれた者として面白く読んだ。「紙上の教会」は初耳。
内村鑑三に始まる無教会の集会は、江戸期の寺小屋のように、偉い先生がまずあって、その師に入門し、ときに破門される。師の信仰と徳を慕って集まり私淑し師と弟子のきずなが強い。そこで先生主筆の雑誌が発行されるが「紙上の教会」という意識はなかった。
鑑三は1912(大正元)年にこう述べる。「我教会は黒と白とを以って作れる紙上の教会なり、其教師は著者にして、会員は読者なり、最も簡単にして最も廉価なる教会なり、而かも最も鞏固なる教会なり」(同書p92)。
著者によると、この「紙上の教会」は大正7年の基督再臨運動から激増する。「聖書之研究」誌が4500部、鑑三の集会出席者が800人を越えた。あたかも大正教養主義の普及で読書人口も増え、岩波書店岩波茂雄は鑑三の弟子で、「岩波文庫」を創刊して「紙上の大学」を始め「紙上の教会」に呼応し鑑三の著書を古典化した。
鑑三没後の無教会は、軍国主義日本で、唯一キリスト信仰の節を汚さなかった集団として敗戦後脚光を浴びる。そこにはおびただしい鑑三の弟子が名を連ね、憲法、教育を始め日本の戦後改革に深くかかわった。さらに無教会の雑誌が、雨後の筍のように族生し、1962年には61誌に達した。主筆と読者、読者同士の誌面の交流があり、目に見えない「紙上の教会」がひろがった。
いらい半世紀。いま無教会は「紙上の教会」も「師と弟子」の実態もない。流通する雑誌そのものがないのだ。しかし内村鑑三は長くこの日本に影響を残すだろう。三つの高校を抱える無教会の流れも絶えることはない。それらを支えたキリスト・イエスはなおのこと。「植村正久は信者をつくった。内村鑑三は人材をつくった」(京極純一「植村正久・その人と思想」)。
「わたしたちは、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています」(第2コリント4・5)