イエスの弟子教育。フィリポとアンデレ

shirasagikara2013-08-05

1946年(昭和21)7月の終わりだった。わたしは浅田正吉先生に勧められ、大阪・中之島公会堂で開かれた矢内原忠雄先生の講演会に出た。満堂の聴衆。その日、岡山から来られた先生は、満員列車に入口から乗れず窓から入ったとのこと。話の中身は「5000人のパンの奇跡」。「このごろクリスチャンでも、日曜日に家庭菜園の手入れで礼拝を休む者がいる。まず主を拝すべきだ。主が食べ物を備えてくださる。疑う者はわれを見よ!」と叫ばれた。敗戦後の超食糧難の時代。長身痩躯の先生の声に預言者の権威があった。
ヨハネ福音書」6章で、イエスの話を聞こうと、およそ5000人の大群衆が押しよせたさい、イエスは弟子のフィリポに「どこでパンを買えばよいか」と言われる。彼をテストするためだ。フィリポは山のような群衆の量に圧倒され「それは無理」と答えた。巨大な仕事がどさっと積まれて「不可能」と見たのだ。横で聞いたアンデレは、すぐに群衆に分け入り「だれか、パンをお持ちでないですか」と駆け回った。フィリポは頭で考えたが、アンデレはからだで解決を計った。そして、5つのパンと2匹の干し魚を持つ少年を探し出した。しかしアンデレも「大群衆には焼け石に水」という。
フィリポは「大量」に気をとられたが、アンデレは「小さいこと」に注目した。たとい山のような大きな仕事でも、一つずつ、少しずつ、根気よく、崩してゆけば、一山、また一山と片づくものだ。
エスは、群衆を座らせて姿勢を低くさせ、アンデレが探した「5つのパンと2匹の魚」という「小さいものをつかんで」一人立ち上がられる。さらにそれらをつかんだ両手を伸ばし天を仰がれる。人々の目がその上を仰いだときに奇跡がおこった。イエスの奇跡は群衆への「愛」と、群衆がわの「信仰」の物語りだ。矢内原先生は、その「愛」を「信じる!」と叫ばれたのだ。わたしはその日「嘉信」の読者になった。
エスは弟子の力量をテストし、その実力を自覚させ、失敗を体で覚え、目に焼きつく教育をされる。この日、ふたりの弟子は「それは不可能」と答案用紙に書いたが、それを打破された、主の愛の力の教育を体に刻んだ。イエスの教育はすごい。
「わたしは命のパンである」(ヨハネ6・48)<写真は庭のムクゲ