小さいから、大きい

shirasagikara2013-09-23

このごろイエスが言われた「小さいから大きい」という形容矛盾の言葉を考えている。
三つの立場がある。まず「小さいものは小さい」(これはあるがままを認める現状肯定)。つぎは「小さいけれど大きい」(これは大きいことに価値を置いている)。さらに「小さいから大きい」(これは小さいことに価値を置いている)。
むかし「大きいことはいいことだ」の CM が流行った。経済大国、消費大国がいいこととされた。日本は「小さいけれど大きいぞ」と、小を抜け出したい意識。しかしいまは「小さいものは小さい」と背伸びをせずに、むしろ小さいことに価値を認め、「小さいから大きい」日本になればいい。そこに確信と、誇りと、喜びがあればいい。
山形県の山奥の基督教独立学園が全国から注目をうけるのは、「小さいから大きい高校」だからだ。1948年の創立以来、1学年の定員26名。男女共学の全寮制を守る小さい高校だ。創立者・鈴木弼美校長は「小さい高校に留まりつづける意思」をもって反常識を貫き、「大自然の中の少人数教育」という理想の学園を育てた。基督教独立学園は、この確信と、誇りと、喜びで「小さいからこそ大きい」学校になった。「小さいけれど大きい」高校ではない。「けれど」は「くせに」と、小さいことを見下している。
「藤尾さん、いったいこのまちにヤソ教(キリスト教)信者は何人ぐらいいますか」「そうですな仏教信者よりは多いでしょう」「ええ!!このまちの者はほとんど仏教信者とちがいますか」「わたしはヤソ(イエス)のためなら死んでもよいという人をこのまちで何人も知っていますが、仏さまのために死んでもよいという人に出会ったためしがありません。ですから、本物のヤソ信者は、本物の仏教信者より多いでしょう」「そういわれれば、そうですな」
これは昭和の始め、わたしの父が、ある会合の席で満座の視線の中をやりとりした会話だ。ここに「小さいから大きい」という確信と、誇りと、喜びがある。人口の1%の日本のクリスチャンが、主のために死んでも良いという集団であれば、70%という仏教徒より「小さいから大きくなる」。
「あなたがたみなの中でいちばん小さい者こそ、大きい(メガス)のである」」(ルカ福音書9章48節)<写真は庭の彼岸花