結婚の条件//結婚60年

shirasagikara2013-10-21

むかし扇谷正造という朝日新聞の大記者がいた。わたしが国立国会図書館調査局にいたころ、同室隣席の上司・関口隆克先生の友人で、ときどき部屋に見えた。「週刊朝日」の名編集長をへて論説委員をされていたころだ。いがぐり頭で気さくな方だった。あるとき「男性から見た結婚の条件」を話されたのが記憶に残る。
それは「一に健康、二に料理、三、四がなくて、五が十人前」というものだ。なんといっても「健康がなにより」。ついで「料理」は毎日のことだから妻の料理上手はありがたい。そして「三、四がなくて」がミソ。学歴とか、家柄とか、そんな条件は問題にしないでということ。そして、ぐっと下がって「五が十人前」。つまり美人でなくて、ふつうの容貌でいいということだ。これは女性から見ても同じだ。「一に健康、二に仕事、三、四がなくて、五が十人前」。これがいい。
わたしも結婚前、いちおう結婚の条件を考えた。まず「キリスト信仰があること」。つぎに「うそがないこと」。最後は「他人に親切」と決めた。ありがたいことに、家内は扇谷正造の「健康」「料理」「十人前」の三つと、わたしの三条件も何とか満たした。
ただ家内の「他人に親切」は、ときに度が過ぎてダンナより人さまに向かう。これは家内の母親ゆずりだ。あるとき実家の母の住む家の二階へ泥棒が入った。泥棒と聞いて翌朝わたしが訪ねると、庭のスチール製の小さな道具入れを、よいしょ、よいしょと動かしている。「なにしているの」「こんど、泥棒さんが入って二階から落ちてこれに当たったら痛いでしょう」。驚くばかりの泥棒さん思い。オヨヨ!?。
一事が万事。家内の親ゆずりの他人様への親切は、ときにダンナを嘆かせるが、他人に不親切よりはまし。イエスさまもおっしゃった「隣人を自分のように愛しなさい」(マタイ19.19)。トホホ!。
その家内と連れ添って、この秋10月で満60年。ジイさんは米寿、バアさんは傘寿。人呼んで「ダイヤモンド婚」。少し曇った石炭ダイヤだ。喧嘩しながら、とにかく主に生かされた60年。ワッハッハ!。
「妻を得るものは恵みを得る、主に喜び迎えられる」(箴言18・22)<写真は庭のキンモクセイの落花>