浜谷不二の詩集

shirasagikara2013-11-11

「主よ みたまによって歩けません 主よ みたまによって祈れません 主よ 信仰ありません では何があるのですか 導くという約束だけです」
「主よ 私は一皮剥けば 見栄がでてきます 二皮むいたら うぬぼれがでてきます もう一つ剥いたら 自己愛が出てきました むいても剥いても出てくるのは 自分への愛ばっかりです むいて剥いた最後に 小さな十字架が立ってたらいいのにね 」
「祈りとは 祈ることではありません 主のあわれみなのです 祈るとは 何かを言うことではありません 主の前に黙ることなのです 祈りとは 何もなくなることです 主の内につつみこまれることです」
「ことばを売るお店があると聞きました 感謝のことばは赤い壷 喜びのことばは青い壷 さんびのことばは緑の壷 黄色い壷 茶色の壷 紫の壷 紺色の壷 黒い壷には何の言葉がつまっているのでしょうか 『お店屋さん 緑の壷をくださいな』」
「この頃いつも 神さまありがとうと言っています。 ほとばしるようなオシッコも けんめいに出たウンコも。 土を耕していても ひばりの鳴き声も。 次から次へと咲く花も たくましく育つ苗も。 何を見てもあんまり思うので 神さまへのお世辞を言っているのかなあと 思ったりします」
これは、浜谷不二さんの「詩集・主を想う心と 神への讃美」だ。ご主人健生さんの愛情につつまれ美しい装丁で出版された。ただし非売品。彼女は2003年5月「あと半年」とガン告知をうけてから三つのことに集中して2年を生きた。一つは「聖書に集中」。死の直前までみことばにとりまかれ支えられて生きた。二つ目は「ウオーキングに集中」。2004年1月から入院直前の9月までで2000キロ近く歩いた。三つ目は「キリスト教電話相談に集中」。彼女はつくばから代々木まで往復4時間かけて、3時間良き聞き手になり苦しむ方々の悩みを聴いた。2005年3月10日、64歳ですい臓ガンで主に召されたが、あっぱれな平凡で非凡な女性だった。(「詩集」に収められた私の葬儀の言葉は、このホームページの「人物短評」欄に収録)
「恵み深い神に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(詩篇136・1)