結婚祝いの「文鎮」と「ハンガー」

shirasagikara2013-11-25

60年まえ、わたしが結婚した1953(昭和28)年ころ、日本は敗戦の傷がまだ癒えず、みな貧しかった。それでも結婚祝いをいろいろいただいた。結婚式に招いた酒枝義旗先生門下の6人の友人(市川昌宏、石原義盛、井崎昭冶、内田英冶、佐藤陽二、鈴木皇)から柱時計を贈られた。その一人の陽二さんが、わが家に遊びに来たとき、ちょうど時計が6つ鳴った。「この音の一つはおれの音だぞ」と威張っていた。その柱時計をふくめ、いただいた結婚祝いはすべて壊れたり無くした。ところが不思議に「文鎮」と「ハンガー」の二つだけが残っている。
そのころ国立国会図書館調査局文教課に勤めていたが、わたしの横に座っていられた小原正治さんに「藤尾さん、何がいいですか」と聞かれ「それでは文鎮を」と答えた。書道のためではなく、原稿を書くさい開いた参考書の押さえのためだ。課長の田山茂さんは「藤尾君、何がいい」といわれるので、「ハンガーをください」と頼んだ。そしていただいたハンガーは洋服屋が使うりっぱなもの(写真)。
このお二人は東洋史の研究者。田山さんはまもなく蒙古史で旧制の文学博士になられた。「藤尾君、勉強しなはれ、原稿書きなはれ」が口癖。小原さんは中国近代史の共著もあり、北京の「人民日報」や香港の「文匯報」(ぶんわいほう)を毎日丹念にノートされる学究。なぜ、このお二人の結婚祝いが残ったのか。わたしが欲しかった物だったこと。毎日使う品物だったことだ。
自分が欲しい物をもらうとうれしいものだ。しかもそれを毎日使うとすれば、愛着もひとしお。これは結婚も同じこと。あなたと結婚したい。毎日いっしょに暮らしたい。「愛」とは「共にいることを喜ぶ心」だ。
エスさまは、わたしたちと「共にいることを喜んでくださる」。そこに「愛」がある。そのイエスさまの「愛」をもらうと、うれしいものだ。飛び上がるほどにうれしい。そのイエスさまの「愛」を毎日使わせてもらう。これが信仰を持ちつづける秘訣だ。「まさか」と思う文鎮とハンガーが残ったように、そのとき「まさか」と思う、平凡なわたしたちの信仰が長つづきする。
「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけだ」(ルカ10・42、口語訳)