東北新生園でいそちゃんに会う

shirasagikara2013-12-02

11月28日(木)、日帰りで宮城県北端の東北新生園の鈴木磯乃さんをたずねた。50年まえ、新生園の患者は600名。うちプロテスタントキリスト教信交会は200名を越えたが、2013年、入所者は100名を割り、毎年10名ほどが死去。信交会信徒も22名になった。厚生労働省は200名近い職員を温存し介護は完璧、施設は清潔だ。近い将来、敷地11万坪、建物5000坪の新生園は、老人福祉施設に転換するのではないか。
/栗駒の稲は刈られてひろびろと果たてに出羽の山なみの見ゆ(新幹線・栗駒高原)/「いそちゃん」と呼びて開ければ顔見上げぺたんと座りて「いらっしゃいませ」(新生園自室)/病友も来たりて歌う賛美歌や調子はずれのわれが導く/力なく聖書持てぬ者見えぬ者聖書ひらかず福音を語る/「信仰の先生なんていやですよ」磯乃はあごを机に乗せぬ/「いや先生だ 磯乃の忍耐その感謝」及ぶべくなしわれのごときが/わが描きし絵手紙聖句そこここに飾りてありし磯乃の部屋は/片すみに磯乃が棲める広き園白鳥あまた池に静もる/
東北新生園が、全国13の国立ハンセン病療養所の1つとして創設されたのは1939(昭和14)年10月。鈴木磯乃さんはその翌年18歳で入所した。いま91歳。わたしが初めていそちゃんと面会したのは、50年前の1963年だ。いまはいきなりいそちゃんの部屋へ入れるが、当時は正門脇の面会室で会った。以来、どれだけたくさんハンセン病の友人からキリスト信仰を教えられたことか。
あの「炊飯器のおばさん」の小池妙子さんは、炊飯器にたとえて福音の喜びを語った。 鈴木磐井さんは「感謝なことに、まだ指が3本残っていますから、ゴムひもにボールペンを差し込むと字が書けます」と。その3本の指で「丁寧にしか書けない」手紙を書かれた。近江キヨさん。16歳で失明。熱溜のあと咽喉切開し17年カニューレ呼吸。脳膜炎、喘息、汗疹、皮膚ガンに苦しんだが、その生涯、一度たりと不満の言葉を聞いた者はいない。そして鈴木いそちゃん。目も口も手も足も不自由で部屋をいざっている。ふと握った指が少なくなっていたのに、それで便りをくれる。「イエスさまに感謝です」と。イエスさまはすごいことをなさる。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ5・3、4)<写真は新生園入り口で>