わっと攻めて、さっと引揚げる日本

shirasagikara2013-12-09

一二月八日といえば、日本のハワイ「奇襲攻撃」の日だ。日本民族は「桃太郎」のむかし話の時代から「奇襲攻撃」で「わっと攻めて、さっと引揚げる民」だ。攻め込んでも長持ちしない。初めから長期占領・植民計画などないのだ。
一四世紀半ばから一六世紀の足利時代、「倭寇」とよばれる日本の海賊が、朝鮮半島南部や中国東シナ海沿岸に「奇襲攻撃」をかけ「わっと攻めて」荒らしまわった。しかしそこを一時占領しても統治するわけではない。「さっと引揚げて」いる。
一六世紀末、豊臣秀吉の軍勢が、朝鮮王国に「奇襲攻撃」をかけ「わっと攻め」、半島中を荒らしまわり、一時占領するが「さっと引揚げて」いる。そのいさい数万の朝鮮人を日本に拉致したうえ、陶窯を破壊して陶工は強制連行した。以後日本で陶芸が興り朝鮮で衰退する。
一八世紀の初めの「忠臣蔵」も同じだ。赤穂浪士が吉良邸に「奇襲攻撃」をかけ、「わっと攻め」、主君の仇を討ち「さっと引揚げて」いる。
一九世紀末の明治の初め、日本から「わっと出て行った」欧米留学生は、ほとんど学業を卒えると「さっと帰って来た」。これは同時期、中国留学生が本国へ帰還する者が少なかったことと違いが際立った。日本の青年は明治建国貢献への意気が高かったのに、中国は清朝末期の国内情勢が不安定だったとの理由が挙げられた。しかしこれも「わっと・さっと遺伝子」でなかったか。
二〇世紀半ばの、ハワイ「奇襲攻撃」で口火を切った太平洋戦争では、北は米国領アッツ島から、東南アジア全域を「わっと攻めて」占領した。このときは戦争に敗けて「引揚げさせられた」が、五〇〇万人もが「さっと引揚げた」構図は同じだ。
二〇世紀末から二一世紀にかけ、日本から「わっと出て行った」商社マンや技術者も、現地に永住せず「さっと帰国する」者が多いという。「わっと・さっと遺伝子」だ。
「わっと、さっと」では長期的なものを遺せない。世界の片すみでカトリック教会のシスターたちが、騒乱があっても踏みとどまり、何世代にもわたって貧しい人々に仕える姿こそ尊いのだ。「包囲する者が遠い国から押しよせ、ユダの町に向かって喚声をあげ、畑の見張りのように彼らを包囲する」(エレミヤ4・16)<写真は庭の蔦落葉>