東の学者たちの二度の改宗

shirasagikara2013-12-23

「マタイ福音書」2章に「東から来た学者たち」の話があります。彼らは毎晩、地平線と星だけを見つめました。北極星を始め整斉と運行する星座。これは大いなる唯一絶対の神が存在しなければありえないと考え、一神教の神さまがすとんと分かました。多神教からの改宗です。そのころヘブル語の旧約聖書七十人訳ギリシア語に翻訳され、彼らもそれを読めたはずです。
そしてある夜。「あっ」と驚く新星を発見しました。それを旧約聖書民数記」24章17節の「ひとつの星がヤコブから進み出る」と結びつけたのでしょう。
ある夏の夜、わたしは御殿場のYMCA東山荘で、友人の横山哲夫さんと星を眺めていました。すると彼は「あっ」と叫んで星をみつめてから駆け出し、帰ってきて「残念!」と言います。「何が?」「新星を発見したんだが、登録所に電話したらひとあし早く発見した人がいた」「どの星だ」「ほら、あそこ」。言われても満天の星のどれかわかりません。新星はだれにでもわかる星ではないのです。東の学者のときも同様です。
東の学者らは、一神教の神を信じただけでなく、新星と救い主を結びつけ、キリストを拝むため旅行準備を始めました。神さまを信じただけではだめなのです。キリストと結びつかないとだめなのです。
東で新星を発見したとき、西で同時にイエスさまの誕生があったわけではありません。ヘロデ王は新星発見の「時期を確かめ」、2歳以下の幼児を虐殺させていますから、新星から1年以上たってのクリスマスでした。
この1年以上が学者らの求道の苦しみでした。星が見えなくなったのです。しかし、たしかに見た。わたしたちもキリストの光を求め、あの教会この先生とさまよいます。学者らも地図のない長旅を、迷いながらもエルサレムにたどりつきます。そしてあの星を再発見し喜びにあふれ、母マリアのそばのイエスさまを拝みます。マリアを拝みません。そして宝物を捧げます。学者たちはキリスとへと改宗したのです。この「キリストとの出会いの喜び」「キリスト礼拝」「捧げ」がクリスマスの中心です。
「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来ました」(マタイ2・2) <写真は近くの白鷺ハイム・元ルーテル神学校のクリスマス電飾、マンション6階より高い>