インターネット教会

shirasagikara2014-01-13

内村鑑三が、一〇二年前の一九一二(大正一)年に「紙上の教会」構想を書きました。雑誌による文書伝道の推進です。じじつ彼の弟子たちは「内村方式」の伝道を受け継ぎ、最盛期には無教会関係の雑誌発行点数が六〇を越えたそうです。しかし、いまやインターネットの時代。「インターネット教会」こそ構築すべきではないでしょうか。
こんなことを書くのは、この一月で八九歳になった老人のわたしでも、「インターネット教会」を持てるかなと思ったからです。
毎週八〇〇字あまりの「月曜ブログ」を書いています。時々「聖書ばなし」や「人物短評」も追加します。だいたい毎週二〇〇件以上、時に四〇〇件を越えてカウントがあります。自分で開いてもカウントされますから、たぶん二〇〇人ほどは、外国の読者もふくめて読んでくださる勘定です。とすれば、居ながらにして二〇〇人の会衆を相手に話してることになります。わずか二〇〇人と笑うなかれ。日本の教会で毎週二〇〇人の会衆に話す牧師は少ないとおもいます。
日本中ほとんどの教会はホームページを持っています。すべて「わが教会」の宣伝です。会堂の写真、礼拝時間、集会行事予定、教会案内地図、礼拝説教の要約。これも結構。しかし、牧師さんが毎週ホームページの始めに、短く「キリスト信仰のエッセンス」を書いてはどうでしょう。
キリスト教初めての日本人むけに、身近な出来事をからめて書くのです。その後に「わが教会」を紹介する形がいいですね。以前、招かれた四国の教会の牧師さんが、毎朝三分「おはようございます」で始まる「福音電話録音伝道」をされていました。わが教会の宣伝の前に、イエス・キリストはこういうお方と宣伝するのです。
日本中の教会が、いや初めは一〇〇の教会でもいい、インターネットで、教会へ来ない、来れない方々と結ばれたら「インターネット教会」構築も夢ではありません。内村流に言えば「われらが教会はインターネットをもって作れる目に見えざる教会なり、もっとも簡単にして、もっとも廉価なる教会なり」。「わたしたちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます」(第2コリント4・18) <写真は庭の実生の南天