カナの婚礼

shirasagikara2014-01-20

新約聖書の「ヨハネ福音書」2章に「カナの婚礼」の話があります。ルーブル美術館にあるパオロ・ヴェロネーゼの大作「カナの婚礼」では、イエスさまは中央の食卓に座られますが、ほんとうはユダヤの伝統に従い、民家の中庭で音楽にあわせ、イエスさまも弟子たちも、花婿・花嫁といっしょに激しく踊られたのではないでしょうか。踊り疲れ、のどが渇くと、だれしもブドウ酒をぐいと飲みます。もちろんイエスさまも。
そのとき、宴席の裏方にいた母マリアは「ブドウ酒が残り少ないこと」に気づき、「ブドウ酒が無くなった」と緊急事態発生をイエスに告げ、その奇跡力を人間が揺り動かそうとします。しかし「少ない」は「無い」と違います。まだ残りがあります。家族が病気をしてみるみる預金が減ってゆく。心配です。しかしまだ残金があります。イエスさまはその少ないものを見て、「パンは5つしかない」と見るのでなく「5つもある」と見られるお方です。悠然とされます。
エスさまは調理場に来て、しもべに「かめに水を汲んで口まで満たせ」と命じられます。わたしたちの周りに、この水かめのように心満たされない方々がいられます。この「水満タン作業」は伝道者の働きと同じです。一見ムダな作業に見えます。しかし、しもべは黙々とこなしました。
そしてブドウ酒が尽きるまさにその瞬間、「今」と叫ばれて奇跡がおこりました。そのとき6つの水かめが、いっせいにブドウ酒に変わったのではありません。しもべは、抱えて運ぶ水瓶からブドウ酒の芳香が鼻を衝き始め驚きます。まさかと思う方々がつぎつぎイエスをキリストと信じ始め伝道者が驚きます。
NYのユニオン神学校で神学部長にもなった小山晃佑さんが、タイ国の神学校で教えていたころ、あの奇妙なタイ語の勉強で苦労します。ある日、大きな河の船着場で、ふと見た横断幕のタイ語が、ず〜と一気に読めたそうです。水がブドウ酒に変わったように、タイ語が解けた瞬間でした。ムダな作業の積み重ねがあってこそ、一気に難問を解かすのです。奇跡のように。
「イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた」(ヨハネ2・2)<写真は庭の咲き始めた蝋梅>