イエスに驚く「感激力」

shirasagikara2014-02-17

むかし瀬戸内海に浮かぶ岡山県・長島の、国立ハンセン病療養所・邑久(おぐ)光明園の家族教会でお話したことがあります。そこで驚いたのは、患者さんたちの「感激力」でした。みなさん走れません。何々をする能力、ありません。元患者の牧師先生もすごい近眼で、大きな聖書に目をすりつけて読まれます。しかし、その喜び、どっと起こる大笑い、感激力の大きさに圧倒されました。新約聖書でイエスさまが注目されるのは、この主の愛への「感激力」です。
放蕩息子が帰還したとき、父親は、息子に走りより首を抱き接吻します。叱り飛ばされると覚悟していた息子は、父の愛にすごく感激して「父よ」と叫び、息子の資格はないと悔い崩れます。しかしお兄さんは、弟が放蕩で大金を食いつぶしたことを問題にします。兄はりっぱでしたが、感激はありません(ルカ15章)。
ぶどう園で、夕方1時間しか働かなかった、身体虚弱か障害のある労働者が、わずか1時間で1日分の賃金をいただいたとき、ぶどう園のご主人は、何と愛のお方かと飛び上がるほど感激しました。しかし12時間働いて同じ賃金をもらった労働者は、主人は何と冷たいかと驚きます。長時間労働を誇ったからです(マタイ20章)。
長旅に出る主人が、留守中の10人のしもべに、「商売せよ」と1ムナ(100万円)ずつの金を預けます。そのうちふたりは、ずんずんもうかるので、ご主人さまの力にびっくり仰天し、ご主人の帰還を今か今かと待ちに待ち、「1ムナが10ムナをもうけた」「1ムナが5ムナをもうけた」と報告します。自分の力でなく「ムナがムナを稼いだ」と感激したのです(塚本虎二訳も「あなたの1ミナは10ミナを稼ぎました」)。布に1ムナを隠したしもべは、ご主人は恐ろしい人ととらえ、ムナをなくさないことに執着しました(ルカ19章)。すべて神さまの愛への「感激力」の大小、熱冷のちがいです。
「ご主人様、あなたの1ムナが10ムナをもうけました」(ルカ19・16) <写真は雪をかぶった燈籠と蹲>