大事な時に転んだ十二使徒

shirasagikara2014-03-10

森喜朗・元総理が「あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね」と評したのは、メダル期待の浅田真央選手が、ソチの冬季オリンピックフィギュアスケートで転び、日本中が「あっ」と叫んだ時だ。
浅田真央選手は「いま森さんが後悔しているのでは」と、きれいに受け流したが、人生には「転びはつきもの」。そういう森総理も「大事なときに転んだ」。彼の内閣が短命で終わったのはその失言癖のためだ。「日本は神の国」と発言して猛反発をくらい、総選挙では(有権者が)「選挙に無関心で寝ていてくれれば」と言って批判を浴びた。
エスさまには十二人の弟子がいたが、大事な時にみな転んだ。一番転びは、十二人のうち頭の回転が速くみなの財布をまかされていたユダだ。先生を敵の手に売り渡したのだ。ほかの十一人も、イエスさまが宗教議会の役人に逮捕された大事なときに、全員先生を捨てて逃げ、みな転んだ。
なかでも、一番弟子のペトロが何度も転んだ。まず嵐のガリラヤ湖を、イエスさまが水しぶきを浴びてあらわれたとき、ペトロは「主よ、あなたでしたら、わたしに命じて、水の上を歩いてそちらへ」とお願いする。この「でしたら」がよくなかった。「半信半疑」なのだ。だから水に沈みかけた。第1回の転びだ(マタイ14章)。
2回目は、イエスさまが「死と復活」を予言され、驚いて先生を脇に連れ出し諌めたときだ。「サタンよ、ひっこめ!」とイエスに叱られる(マタイ16章)。3回目は「イエスなんか知らない」と3度も言い切ったときだ。そして4回目はゲッセマネの園で先生の逮捕で逃げ出したときだ。
この4回も転んだペトロをイエスさまは、復活のあとひとことも叱らず「君はわたしを愛するか」とやさしく聞かれる。ペトロは参って「わたしがあなたを愛してることは、あなたがご承知」と答える。転んだ者を叱るのでなく、愛して立ち直らせるイエスのすごさ。
「ペトロは、イエスが三度目も「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった」(ヨハネ21・17)<写真は庭の鉢植えのジュリアン>