「ありがてぇや イエスさま」の刊行

shirasagikara2014-04-07

89歳にもなって、また本をつくりました。題は、おこがましくも、もったいなくも「ありがてぇや イエスさま」(3月25日発行、頒価・1000円)。82歳から88歳まで(2007〜2013年)7年間に書いた、この「月曜ブログ」364編から101編を選んだものです。
7年間のブログですから、2008年には北京五輪があり、2011年には東日本大震災があったりして、以前、1年間のブログから選んだ「神さまの指紋」と、また違うながめになりました。しかし選んだあと、長く働いた国立国会図書館と、関心が深かった韓国の記事が多いのに、自分で驚いています。。
やはり人間、いつも気にかかることに心が傾くのです。 わたしはかねて、キリスト教の出版物には翻訳調のむずかしい文章が多いのが残念で、日本人らしいことばで、福音をわかりやすく伝えられないかとおもってきました。なかでも福音がひと目でわかる。口の中で文章を転がしても、すぐ覚えられる。短い「福音短言」はないかと考えていました。そして、そのゆきついた一つが、この本の206ページに載せた「藤尾正人の福音口上・ありがてぇや イエスさま」です(2013年11月4日のブログにも載せています)。
わたしは、歌舞伎の「白波五人男」で、尾上菊五郎たちが、唐傘をかざしての名場面のせりふが大好きで、いまでも五人ぜんぶの口上は覚えています。これをまねて「福音口上」も、日本人にはなじみの深い七五調をつかいました。覚えやすく短い文章に「福音」を吹き込んだつもり。うれしいことに、これを読んだ小林望新教出版社社長から「福音口上」は「純国産の信仰告白」「ストンと納得できた」と批評をいただきました。序文は信仰の師・酒枝義旗先生の同門、65年来の信仰の友・物理学徒の鈴木皇さんが書いてくれました。装丁は孫の宮本まことです。ありがてぇや イエスさま。
「十字架の言葉は滅んでいく者にとっては愚かなものですが、救われる者には神の力です」(1コリント1・18) <写真は庭のフキの花>