もし中国軍が日本に侵攻して

shirasagikara2014-04-21

きょう、4月21日から靖国神社の春の例大祭が始まる。また国会議員が集団参拝するだろう。中国の反発は必至だ。
むかし宮城県国立ハンセン病療養所・東北新生園を慰問に来た福島県の女子高校生10名あまりに、「キリスト教信交会」代表・佐々木英三郎さんが、両手で輪をつくらせ「左手の力は抜き、右手は思い切り握れ」と、「一、二の三!」と号令したとたん、全員が「ぎゃっ!」と叫んだ。右手が相手に与えた「加害」より、左手が受けた「被害」が強烈だったのだ。これはハンセン病差別への教訓だが、「加害・暴力」は快感さえ覚え、「被害」は苦痛を胸に刻みこむ。
小さいことでは、電車の中で足を踏まれた者は、踏んだ者が「すみません」と出て行ったあとも痛みは残る。大きいことでは、自国に外国軍が攻め込んで痛めつけられたら、その民衆は深い傷を残した相手国を忘れない。
前にも書いたが、もし中国軍が日本に侵攻して沖縄・九州を占領し、かいらい国家を樹立したら、日本人は憤激するだろう。そういうことを日本は中国でしたのだ。中国の東北部を占領して、1931年、満州国というかいらい国家をつくった。
そのうえ、もし中国軍が、広島、大阪、名古屋、東京を始め大都市を武力制圧し、日本政府は東北・北海道へ逃げ、札幌に本拠を移して反撃する。抵抗する日本各地は中国の激しい空爆を受け、多くの市民が死傷。この血みどろの日本防衛戦争が8年もつづけば、日本人は「中国は悪い」と心に刻むだろう。
そういうことを、日本は中国でやったのだ。当時首都だった南京を1937年に占領し、上海、北京、広州や、かなり奥地まで武力制圧して、数え切れないほど中国人を殺した(中国側の公式発表は1000万人)。国民党の蒋介石は奥地の重慶に、共産党毛沢東は延安に本拠を移したが、日本空軍はそこを無差別爆撃。国民党軍、共産党軍は8年間徹底抗戦した。
「加害意識」は薄れやすく「被害記憶」は長く残る。その「加害・暴力」の張本人の「A級戦犯」を合祀した靖国神社だ。議員らには日本が中国人に与えた「加害者の自覚」も、「被害者の痛みへの想像力」も欠けていないか。
「この民の罪をゆるしてください」(民数記14・19)<写真は庭のオガタマの花>