キリスト信仰鑑定団

shirasagikara2014-05-12

この春で放送二〇年になる人気のテレビ番組に、「なんでも鑑定団」があります。有名無名の人々が、自慢の「お宝」を持ち込んで、一流鑑定士にその価値を値ぶみしてもらう趣向です。自分では伝家の宝物と信じて「五〇〇〇万円!」としたものが、五〇万円だったり、逆に「八〇万円」と自己評価したものが、八〇〇万円だったりするので面白いのです。
もしキリスト信仰も、天国に居ならぶ「信仰鑑定団」の面々に鑑定してもらったら、どうなるでしょう。かく言うわたしなど、あわれな姿で天国のがけっぷちに両手でぶらさがり、やっとこさっとこ、最低の値がつけられるに違いありません。
ダンテも「神曲」をあらわし、みずから「信仰鑑定団」の座長に座り、ソクラテスプラトンも地獄の上層の辺獄に入れました。ローマ教皇クレメンス五世などは「醜行を重ねた無法の牧者」とまで酷評して地獄に蹴落としていています(地獄篇・第一八歌)。
現在の日本の教会でも、大活躍され喝采を浴び、「三〇〇〇万円」と人々が値ぶみする器が、天国の「信仰鑑定団」にかかれば案外値が低く、小さくて平凡な、どこにでもある田舎の教会に仕える器の方々が、自己評価は「三万円」でも、「一〇〇〇万円」と値づけされるかもしれません。なぜなら、天国の評価は、地上で人間が「なにをしたか」は、問題にされないからです。
天国の鑑定基準は、教会に集められた人々が、どれだけ「キリストご自身を喜んでいるか」「主にある喜びがぐっと籠って働いているか」にあるからです。イエス・キリストさまご自身を、心から喜び、そのため自分も用いられたいと願う信徒、牧者、教会が祝され、「いい仕事してますね〜」と、値がびゅっ〜と高くなるのです。
しかし、ありがたいことに、偉かろうと、偉くなかろうと、大きな働きをしようと、しまいと、イエス・キリストを信じた者は、一人も救いから洩れることはありません。「天国の信仰鑑定団」の鑑定は「全員合格」です。「福音は、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です」(ローマ一・一六)
<写真は忍冬の赤い花>