笑顔のすてきな三人の女性

shirasagikara2014-05-19

三人の女性の、すてきな笑顔が忘れられません。赤ちゃんの笑顔のように、その顔を見るとこちらも、おもわず笑顔になるお顔です。
一人目はA子さん。「こぼれるばかりの笑顔」でした。わが家で酒枝義旗という早稲田大学の先生が、毎日曜日に聖書講義をされたころいつもお見えでした。玄関に並ぶ履物に、粗末な下駄があればA子さんだとわかると家内がいうほど、ご大家の奥さまなのに身辺を飾られません。あの笑顔はどこから来るのでしょう。A子さんは、一番大事な内なるものを追い求め、キリストさまの深みを教えられ、その内面の輝きからあの笑顔がこぼれ出たとおもいます。素朴な外見を、こぼれる笑顔がつつんでいました。
二人目はB子さん。日曜礼拝のため電車に乗ると、車内を見わたし「この乗客のうち、イエスさまに愛されているわたしが一番の幸せ者」と喜んだそうです。薄っぺらな軽い笑いでなく、「ホホホ」と深みのある笑顔が絶えないのです。しかし、信仰に立って動じないというのでもありません。「正人さん。いま台風でうちの屋根が飛ばされそうなの。祈って!」と電話してくる方でした。本気でイエスさまを信じ切らないでは、そんな電話を掛けません。「品格と深みのある笑顔」がすてきでした。
三人目はC子さん。ある方が「あの方のお顔はマリアさんみたい」と言われました。しかしC子さんは、マリアさんと違い、大笑いするし、悟りすました方でなく、それでいて存在そのものが、マリアさんのように無垢(むく)の笑顔の方でした。剥(む)いても、剥いても、柔和な本物の笑顔が出てくるのです。「自分のように隣人を愛しなさい」のみ言葉どおり、何かおいしいものをいただくと、自分は食べないで、まずどなたに食べていただこうかとおもいめぐらす女性でした。「これは本物という笑顔」で。
「こぼれるばかりの笑顔」「品格と深みのある笑顔」「これは本物という笑顔」。主にある笑顔はいいですね。
「喜べ、そうだ、大喜びするんだ。天のむくいは大きいぞ」(マタイ5・12) <写真はバンマツリ。始め紫後に白>