マイクなしで、五〇〇〇人に叫ぶイエス

shirasagikara2014-06-02

エスさまは荒れ野で五〇〇〇人の群衆に話されましたが、マイクもない時代、声は届いたのでしょうか。
むかし日本陸軍の船舶幹部候補生隊入隊式で、二〇〇〇余名の候補生が広い営庭に整列させられ、指揮台という三方から上がる高い演壇に部隊長が立ち、いきなり「諸士はぁ〜 バシー海峡のぉ〜 埋め立て要員であるぅ〜」と叫びました。
バシー海峡とは、当時日本領だった台湾と、日本が占領していたフィリピンとの海峡のことです。日本軍の兵隊や物資を運ぶ輸送船団が、その海峡で米国の潜水艦に撃沈される場所でした。船舶隊はその船団の要員です。入隊のしょっぱなから「埋め立て要員」などという、いやなことばを聞かされて気が滅入りました。
しかしそのとき、部隊長の長い訓示はすみずみまで聞こえました。直立不動の姿勢で、針が落ちてもわかるほど静粛に耳をすましていたからです。左右に整列展開した二〇〇〇人に聞こえたとすれば、全員が指揮台のまわりに押し集まれば五〇〇〇人でも聞こえます。
とすれば、丘の上にイエスさまが立ち、群衆がその周りにびっしり座れば、ゆうに五〇〇〇人以上でも聞こえたとおもいます。
しかし早口ではいけません。あの部隊長のように、イエスさまも大声で、ゆっくりゆっくり、ひと言ひと言くぎって、「幸いだ!〜 悲しんでいる者たち!〜 その者たちは!〜 慰めを受ける!〜 」と叫ばれたでしょう。だから弟子や聴衆も、そのゆっくりしたことばを覚えられたのです。そして聖書のもとの「説教集」ができたはずです。
日本の「古事記」は、稗田阿礼が内容をぜんぶ暗記していたのがもとです。彼は「年は二八歳。聡明な人で、目に触れたものは即座に言葉にすることができ、耳に触れたものは心に留めて忘れることはない」(古事記序文)といわれた人物です。また山形の基督教独立学園創立者・鈴木弼美校長も「一度覚えた外国語の単語は忘れません」といわれ驚きました。そんな人がいるのです。むかしも今も。「叫ぶイエス」「心に刻む弟子や聴衆」「生まれる聖書の素」「ありがてぇやイエスさま」。「パンを食べた人は男が五〇〇〇人であった」(マルコ 六・四四)<写真は紫欄>