放っておけないほどの愛情と信頼

shirasagikara2014-06-23

二階に住む長男一家がシュナウザーの小型犬を飼っていて、孫娘が「小鉄(コテツ)」と名づけました。
見わたして、犬ほど種類が多い動物はいません。たいていの動物は形の上では同じです。鼻の短い象、首の短いキリン、足の長い豚はいません。しかし犬には、大型犬も小型犬もおり、足長も、短足も、シェパードのような長鼻も、ひしゃげた鼻のブルドッグもいます。それに毛の長短も色や文様もじつに多彩です。チーターはすべて草原を疾走しますが、犬は、速いのも遅いのもいます。
それに犬は古来、忠実な番犬になり、猟犬にもなり、いまは盲導犬、介護犬として人間を助けてくれます。犬を飼ういちばんの効用は、その飼い主への愛情表現です。これで家族はどれだけ慰められることでしょう。猫もかわいいけれど愛情表現はクールです。
小鉄」は、天気の日は息子の嫁さんに連れられて庭に遊びに来ます。「ワン」という声でわたしが庭に出ると飛びつきますが、わたしの服装を見ません。わたしの容貌を見ません。ひたすらわたしに飛びついて鼻をなめます。しっぽは振りっぱなしです。とにかくわたし自身を求めて喜ぶのです。こんなに慕われたら放っておけません。
むかし藤井武という、内務官僚を辞して伝道者になった方がいました。その弟子がわたしの信仰の師の酒枝義旗先生です。ある会食の席で、酒枝先生の近くに賀川豊彦牧師がすわり、その隣りに末広巌太郎(いずたろう)という東京大学教授がいられて「わたしの、高等学校から大学の同級生に藤井武君がいて、ほんとうに神さまを信じ切っていました。あんなに頼られると、神さまのほうでも放っておけないでしょうな」と賀川先生に話されたそうです。
たしかに神さまは、ご自身に寄りかかり、「学士さまなら娘をやろか」(本ブログ6月9日)と、貧しさを喜ぶ生活をからかわれながら生きる藤井先生を、最後まで放っておけないで、守り通されたのです。飛びつく「小鉄」に考えさせられました。
「愛には偽りがあってはなりません」(ローマ12・9) <写真は「コテツ」>