本気のキリスト信仰

shirasagikara2014-07-14

人がキリストを信じようと決心するのは、説教を聴いたり、本を読んだりしたときよりも、本気でキリストに生きる人を見た場合が多いといいます。
大阪の井上くにえさん。母上は外出先から帰宅すると、いつも羽織のすそをぱっとはねて座敷の真ん中で両手をつき、「主さま、ただいま帰りました」と挨拶のお祈りをされるのが常でした。その様子を柱の陰からみて、彼女は「お母さんの信仰は本気や」と、自分もキリストを信じたと話されました。
わたしの叔母の池内年子。自宅の近くに火事がおこったさい、わたしの父の藤尾英二郎が家族を部屋の真ん中に集め「主よ、火事から守ってください!」と大声で祈るのを聞き、叔母は「兄さんの信仰は本気や」と、キリストを信じたと話してくれました。火事は風向きが変わり難をまぬがれました。
姫路の村上とみさん。寺町の妙行寺での法事の最中、キリストを信じないで死んだその親族をおもい、和尚さんのお経のあいだ、懸命にその方の救いを祈っていました。すると和尚さんが、お経をやめて村上さんをふり返り、「あんた何を祈ってなさる」と聞きました。「へえ、キリストさまに祈ってます」と答えると、「それでわかった。お経を上げても何か白いもんが動いて、お経に力が入らなんだ」といわれ、村上さん「うれしかったですわ」と話されました。本気の信仰を主が聴かれたのです。
岡山県の農家の木村英野さん。石油ストーブに手をかざしていると、つ〜と油が床にもれ、そこをぽっぽっぽっと火が走りました。「たいへんじゃ!」と布団を引っ張り出したときには、火は顔の高さ。「エスさん!助けて!焼けたら集会ができんようになる!」と叫び、大声で裏の畑の弟を呼びました。駆け込んだ弟が、天井をなめ始めていた石油ストーブに手をかけ、引きずり出し、裏庭に放り投げて収まりました。英野さんは「エスさんが守ってくださったんよ。エスさんはすぐそばで聞いてくださるのに、あんな大声出さんでもよかったんよ」と高笑い。すべて「本気の信仰」。「求めなさい。そうすれば与えられる」(マタイ七・七) <写真は玉龍の花>