さつま揚げと福音 「ああ違う、ぜんぶいい」

shirasagikara2014-08-04

本場・鹿児島県産のさつま揚げをいただいた。一口食べて「ああ違う」とおもった。二口、三口食べて「ぜんぶおいしい」と感じた。そのとき「ああ違う、ぜんぶいい」という福音の話ができればいいなとおもった。じつはむかし、そんな話を聴いた経験があるからだ。
1948年のそのころ、わたしは東京・杉並区の下宿近くの天沼(あまぬま)で、伝道者・政池仁先生が、ご自宅2階8畳で開かれた日曜学校の一人教師をしていた。土曜夜バニヤンの「天路歴程」を読み、つぎつぎアニメを巻物に描き、部屋いっぱいの子どもたちに話した。隣りの書斎から政池先生が顔を出し「君は日曜学校の教師の才があるね」とほめてくださった。その子どもたちに、のち京都大学物理学教授になった政池明さんや、東京学芸大学数学教授になった政池寛三さんもいた。
しかし日曜学校が終わると、同じ場所の政池集会には出ないで、わたしは天沼から隣りの鷺宮へ走った。酒枝義旗(さかえだ・よしたか)先生の話をきくためだ。当時51歳の酒枝先生は早稲田大学の経済学教授だった。1948年1月、同じ下宿の町田守正さんの紹介で、先生ご自宅2階8畳の酒枝集会に出た。初めて先生の話を聴いたとき「ああ違う」とおもった。それまで聴いた聖書の味とは違う。2度、3度、ずっとお聴きして「ぜんぶいい」と感じた。わたしが福音とはこういうものだと教えられたのはそのころだ。集会の帰り、うれしくて、聖書、讃美歌をしばった風呂敷を、空に放り投げ、駆けては受けて走った。
1848年の秋、政池先生と近くの妙正寺池へ散歩に行った。「先生、ボクは日曜日が来るのを、月曜日から待っているんです」というと、「ほんとかね」と驚かれた。「水曜日には日曜が近づいたと喜び、土曜日は明日だと勇み立ちます」と答えた。政池先生は「ボクも内村鑑三先生の話をそんなおもいで聴いたが、いまもおなじことがあるのかね。いや、酒枝先生は偉い先生だ」といわれた。酒枝先生が偉いわけではない。酒枝先生に語らせたキリストさまが偉い。
「味わい、見よ、主の恵み深さを」(詩篇34・9)<写真は蝉殻>