片手でくるまの運転。片手わざ

shirasagikara2014-09-15

9月5日の夜、東京・初台の東京オペラシティ・コンサートホールで、日本の「ユーオーディア管弦楽団・合唱団」と台湾の「音契合唱管弦楽団」の合同演奏会が開かれ指定券をいただきました。ともにキリスト教の音楽団体です。
チャイコフスキーの「交響曲5番・ホ短調・作品64」にはじまり、讃美のかずかずが披露され、バイオリン、ビオラだけでも33人が弓をそろえ、器楽、声楽のハーモニーに圧倒され放しでした。最後の「聖なる、聖なる、聖なるかな」は、3階までつめかけた1000名あまりの聴衆も総立ちになり、あの大ホールも割れんばかりの大合唱。
その帰り、招待してくださったかたのくるまで、初台から自宅まで送っていただきました。驚いたことに運転されたご主人は、左足と左手がご不自由なのです。「えっ、あなたが運転!」「ええ、右手、右足で運転できるのです」と、まずカーナビに「東京23区」「中野区」「白鷺」「2丁目」「4-10」とタッチされると、さっと地図が表示。ハンドルの突起を右手で握り、じつにスムーズに大きなくるまをあやつられます。
まさに「片手わざ」です。大胆にも片手でこんな大きなことが、いとも簡単にできる人は、ふだんもっと大きな仕事ができるはずとおもいました。なぜなら、イエスさまの「病気いやし」も「片手わざ」で、ずっと大きな、すごいことをされているからです。
病人や家族が「イエスさまなら必ず癒してくださる」という、下からの信仰があり、イエスさまの「治してあげよう」という、上からの愛がスパークして、つぎつぎ病人が癒されましたが、すべて「片手わざ、片手間仕事」です。つまり「病気いやし」はイエスさまの目指されたことではありません。十字架と復活こそイエスさまの大仕事でした。
だから教会でも「病気いやし」を看板にしてはならないのです。イエスさまは一度も「病人いらっしゃい、治してあげる」とは言われませんでした。その証拠に、イエスさまがエルサレムに入られると、ぴたりと「病気いやし」がなくなります。十字架と復活という「一番仕事」が始まったからです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3・16) <写真は水引草の赤小花>