「天路歴程」の深くも浅くもなる川の「彼岸」

shirasagikara2014-09-22

お彼岸(ひがん)です。「彼岸」と聞くと、わたしはバニヤンの「天路歴程」(The Pilgrim's Progress)第1部の最後の「川渡り」をおもいだします。リンカーンも丸太小屋で「聖書」と「天路歴程」は愛読したという名著。その夢物語りのあらすじはこうです。
重荷を背に「亡びの町」を出たクリスチャンは、「落胆の沼」に落ちヘルパーに助けられ、伝道者に道を示されて「狭き門」をくぐり、「注解者の館」で信仰の基本を教えられ、「丘の十字架」を仰いだとき背中の重荷が転がり落ち、額に「救いの証印」を捺されます。さらに「困難の山」を越え「三姉妹の家」でいこい、「謙遜の谷」にくだってアポリオンと戦い、「死の陰の谷」の細道を踏み外さず、「フェイスフル」に追いつきます。ところが「虚栄のまち」で「フェイスフルは殉教」し天からの火の車に迎えられます。
代わって「ホープフル」があらわれ、ともに「通り抜け近道」の標識に惑わされて、「絶望巨人」の「疑惑城」の「牢獄に幽閉」されますが、「日曜日・主の日」という「鍵」をホープフルが思い出して「脱獄」し、「警戒の丘」「誤謬の丘」をへて「歓喜山」から天国を望見します。さらに「暗き小道」では「七つの悪鬼」や「背教村の変心者」に会い、「へつらい者」「無神論者」「無学者」と問答のあと「麗しいベウラの園」にたどりつくのです。
さあ、天国は目の前です。しかしその手前に「死の川」が流れています。橋も渡し舟もありません。彼らは川に足を入れます。進むほどに深くなり水は首に迫ります。「だめだ、ホープフル、おぼれそうだ!」「クリスチャン、しっかり!」「ホープフル、わたしは失敗だらけだ、君はいつもホープフルだった。君は救われるだろう」。
あんなに熱心に、あんなに苦労したクリスチャンが天国を目前に嘆きます。そのときです、ホープフルの「クリスチャン!底に足が着きますよ!」の声が響きます。なんと「死の川」は、その人の信仰によって「深くも浅くもなる川」だったのです。二人は天使に迎えられ「天国の門」を通りました。「彼岸」に着いたのです。
「渇いている者は来るがよい。命の水がほしい者は、無料で飲むがよい」(黙示録22・17) <写真は彼岸花と水引草。「殉教の血のしたたりや水引草」>