正しい人が自分を罰すると相手が変わる

shirasagikara2014-09-29

新島襄1880年明治13年に、同志社で学生の授業ボイコット事件が起こったとき、校則に従い、徳富猪一郎らの学生を処分すべきところ、事件の責任は同志社にある、校長の自分にあると、礼拝後「諸君、ごめん」と杖をふりあげ左手をうちつづけ、皮膚が破れて血が飛び杖は折れました。学生は先生にかけ寄って謝ったといいます。世にいう「新島自責事件」です。
内村鑑三1886年明治19年のころ、米国のフィラデルフィア近郊の「州立心身障害児施設」で1年間ほど働いていました。ダニーという少年が、あまりにもいたずらがすぎるので、鑑三はダニーを罰したかったのに、きょうは日曜日・主の日だとおもい、自分を罰して断食します。あとでダニーは、自分のため鑑三が苦しんだことを知り鑑三に信従したそうです。
三浦綾子が1951年、昭和26年、自殺しようとおもっていたとき「自殺は他殺より悪い」と前川正にいさめられ、さらに前川はそばの小石で自分の足をゴツンゴツンと打ちつけます。綾子がその手を握りしめると「ぼくには君を救う力がない、ふがいない自分を罰するんだ」と言ったのです。その自分を打つ前川の姿に、綾子は彼の信じるキリストを求め始めました。
すべて、正しい無罪のかたたちが苦しみ、自分を罰したのです。それを見て相手は驚き変わったのです。これはイエス・キリストのあがないの、小さな雛形・見本です。
イエス・キリストが十字架で死なれました。なぜ罪のないイエスが死なれたのでしょう。第2コリント5章21節はこうしるします。「神は、無罪の方(イエス)を、わたしたちのために有罪とされました。わたしたち有罪の者が、その方(イエス)によって無罪判決を受けるためです」(私訳)。
有罪と無罪が逆転し、イエスさまが十字架でご自身を罰せられました。それを知ったとき、「神なんか知らん」と背を向けていた者が心を入れ替え、イエスさまをキリストと信じるのです。何万、何十万、何千万、何億万人と。
「十字架のことばは、滅んでゆく者にとっては愚かですが、救われる者には神の力です」(第1コリント1・18)<写真は咲き始めた金モクセイ>