ひょんなことから自分の頭を

shirasagikara2014-10-27

ひょんなことから、もう半世紀近く理髪店と縁が切れました。1965(昭和40)年、当時勤めていた国立国会図書館の地下に理容室があり、予約すると仕事の合間に散髪ができたのです。散髪ぎらいなわたしが、1ヵ月半も毛を伸ばしてそこへ行くと、髪の量の多さにあきれた店主が「手が疲れた」と文句を言い、料金まで上乗せしました。部屋に戻りふんがいしていると、隣席の上司・関口隆克先生が「藤尾君、ボクは子どものころ床屋になるのが夢だった。床屋へ行っては研究もした。ぜひ君の頭を刈らせてくれ」とおっしゃる。
それではと、つぎからやってもらったものの、その下手なこと。当時はバリカンの時代で、「アッしまった」と、右と左をあわせるたびに、だんだん刈り上げて、後ろは大工の棟梁の髪型になり、恥ずかしくて電車では座れるのに、ドアを背にして立っていました。2年後の1967(昭和42)年、先生と部屋がわかれ自分で刈ることにしたのです。ちなみに関口隆克先生はそのあと、西日暮里の開成中学開成高校の校長になられました。
さて、自分で刈りだした最初は、道具立てがたいへん。三面鏡を買い、畳に新聞を敷きつめ、日本手ぬぐいを首に巻き、大風呂敷2枚でからだを覆い、バリカンを逆手に持って頭の後ろを刈りました。耳周りもバリカンの時代で一苦労。
それが今は風呂で頭を洗ったあと、洗面所の鏡の前に立って10分でおわります。まず頭の右側の毛を両手で握り、ねじって、ねじって「ヨコに」細く伸ばし先を鋏で「タテに」切るのです。左も、後ろも同じ。あとはパッパッと髪を払って微調整すれば終わり。
つまり、自分で刈り始めたころは、「やるぞ!」という意気込みが強く、大騒ぎしましたが、シンプルになり、日常化したのです。これはキリスト信仰の成長にも似ています。キリストを信じた最初は意気込みが強く、肩ひじ張っていたのが、だんだん信仰が日常化し、大ごとでなく、生活に溶けこんでくるのと同じです。それに「自分がおもうほど他人は自分を見てくれない」のです。髪型も信仰も自分らしさを通せばいい。
「わたしは、あなたたちの老いる日まで、白髪になるまで背負って行こう」(イザヤ46・4) <写真は髪をヨコにねじって、タテに切る>