九〇歳は人生のデザートコース

shirasagikara2015-01-10

2015年1月6日、わたしは満九〇歳になりました。九〇歳といえば、料理でも最後のデザート・コースの場面です。
わたしは生まれながらひ弱く、医者は二〇歳まで生きないと診断し、両親は「それまで生きれば、主のご用に捧げる」と祈りました。そして九〇年。わたしの人生は、感謝してもしきれない「フルコース」の振る舞いを、主からいただきました。
まず、二〇歳台から信仰を酒枝義旗先生に、ギリシア語を白井きく先生に、それぞれ10年学びました。また二〇歳台から四〇歳台まで国立国会図書館で働きました。そこは「人材の森」で、旧制の学位を取る者が上下左右におり、「勉強しろ」「原稿を書け」の声が響き、「物書き」の刃を研がされたのです。そして職場では仲間と「聖書研究会」をつくり信仰を励ましあい、家では三〇歳台から「恩寵と真理」の編集にたずさわり、どんなに忙しくても、毎月、編集校正や巻頭言執筆はつづけました。伝道に飛び立つ助走教育時代でした。フランス料理でいえば「前菜」「スープ」「サラダ」「パン」「バター」の段階です。
五〇歳台から八〇歳台にかけての40年は「伝道者」の時代でした。
その前半の五〇歳台、六〇歳台の20年は、父がいたキリスト同信会という教会で働きました。もう無我夢中でした。夜を日についで集会があり、各地を駆け回り、信徒をたずね、月に30回以上集会で話すのはざらで、時々40回以上も話しています。じつに恵まれた教育を主から受けたのです。料理でいえば、メインディッシュの「魚料理」「肉料理」の時代でした。ただある事件があって、わたしは「伝道者の賞味期限切れ」という、うまい口実をつけてそこを出ました。
ところがどっこい「伝道者の賞味期限」はけっこう長く、独立した七〇歳台、八〇歳台は、なんとのびやかに伝道活動ができたことでしょう。パソコンも、ブログも、彫刻も始め、いちばんたくさん本を書かせていただきました。さっぱりしたシャーベットの「ソルベ」や、こってりした「チーズ」に、多彩な「フルーツ」味の20年でした。
そして九〇歳。デザートのコーヒーと、一口サイズの「プチフール」のお菓子をいただいて、ゆったり月に一度のブログを書かせていただきますか。
「主が恵み深いことを味わいました」(第1ペトロ2・3)<写真は咲き出した庭の蝋梅>