天から舞い降りた四人の師友

shirasagikara2015-01-28

<藤尾正人のブログは、2015年から「月2回」の不定期刊とします>
わたしは不思議でなりません。1948(昭和23)年の初めに、天から生涯の師友が4人も舞い降りてきたのです。
第一は、酒枝義旗(さかえだ・よしたか)先生。そのころ満51歳、早稲田大学政治経済学部教授でした。1948年1月第2日曜日の朝、中野区鷺宮の先生宅の玄関のベルを押すと、先生が出てこられました。「聖書講義に出させてください。町田守正さんの紹介です」。先生はちょっと困った顔をされましたが「では二階へ」と言われました。これが底知れぬ影響を受ける始まりでした。寄席好きの座談の名手で、その聖書講義のおもしろいこと。
二階へあがると、7、8人の青年が車座に座っていました。そこに二人目の鈴木皇(すずき・ただす)さんがいたのです。そのころ東京大学で地球物理学を研究中とか。わたしと同年、同月生まれの23歳。つまり酒枝先生と鈴木さんとは同じ日が初対面。そして、どこが惹かれたのか親しくなり、互いの家を行き来して、今に至る生涯の友となったのです。1995年の「ほっとしなけりゃ福音じゃない」や、2014年の「ありがてぇやイエスさま」の序文を書いてくれました。
三人目は勝原文夫さん。ひとつと3ヵ月年上。わたしはその前年に参議院調査部に就職したものの腰骨の手術で半年間休職。1948年1月初め、国会議事堂に顔を出すと勝原さんがいたのです。東京大学経済学部卒業直前の学生でした。その日から国立国会図書館を通じ67年の親友。2009年にはキリスト信仰を告白して信仰の仲間となり、2011年、彼の米寿記念「残照」や、句集「秋茜」をわたしが編集。2013年、彼は「藤尾正人の水彩・書・彫刻」の序文を書いてくれました。
四人目は清水望さん。ほぼ同年。1948年2月初め、その春創設予定の国会図書館に入りたいと下宿をたずねて来たのです。早稲田の角帽をかぶった彼と初対面から親しくなりました。彼は図書館に就職したのに3ヵ月で早稲田の研究室に連れ戻され、のち憲法の教授になりました。彼は内村鑑三の高弟・塚本虎二先生に私淑。伝道者の政池仁先生、ギリシア語の白井きく先生を紹介してくれた大恩人。望さんは2014年12月90歳で主に召され、わたしは葬儀の司式を頼まれました。
こんないい師友を4人も、一度に与えられたとは、不思議な主のご計画。
「兄弟よりも愛し、親密になる人もいる」(箴言28・24)<写真は酒枝先生>