やさしいイスラム教徒 羊飼いの少年

shirasagikara2015-02-01

けさ「イスラム国」が、日本人ジャーナリスト・後藤健二さんを殺害したと知りました。あってはならぬことです。ほんらいのイスラム教から逸脱しています。むかしトルコを旅したとき、イスラム教徒のやさしさと正直さにふれ、それまで教えられた「剣かコーランか」という激しいイスラムのイメージを一新しました。
イスラム(絶対帰依)には「六信・五行」の教えがあります。「六信」とは、神、天使、預言者コーラン、宿命、来世を信じること。「五行」とは、「神は偉大なり」との信仰告白、一日五回の礼拝、年一カ月の断食、喜捨、生涯一度のメッカ巡礼です。
わたしたちの旅行団一行が、ホテルに忘れたカメラや大事な物も、後日その方々の手元に返りました。また村はずれでパンを焼いている女性たちのそばにバスを停めると、焼きたてのパンを一行におしげなくふるまうのです。それまで「見たこともなく、また会うこともない人に」無償で親切にする、これが「喜捨」です。
驚いたことがあります。使徒パウロの伝道地・デルベの野原で集会をしていると、羊飼いの少年が羊の群れを連れて背後を通りました。集会がすみ、バスが停まっている街道の辻に戻ると、どこを先回りしたのか、さきほどの少年が、あいにく小雨が降り出したなか、フードつきの外套を着て、お盆に焼いたクッキーをいっぱい載せて立っているのです。そして一人ひとりに食べさせました。お互い名前も知らず、別れたらまた会うこともない外国人に「喜捨」しているのです。
イスラムの少年菓子を振る舞えり見知らぬ人に祖の供養なりと」(川合文子)。
このパンを焼く女性、クッキーを振舞う少年が、ほんらいのやさしいイスラムの姿です。「イスラム国」の残忍は、教祖・ムハンマドの教えとなんのかかわりもありません。
イスラムキリスト教の大きな違いはただ一つ。イエスをキリスト・救い主とするか、しないかです。自分の信仰が大事なら、相手の信仰も尊敬し大事にすべきです。「慈しみ深い人は自分の魂を益し、残酷な者は自分の身に煩いを得る」(箴言一一・一七)<写真はふくらむ梅の蕾>