[イスラム国」に殺された二人の日本人の違い

shirasagikara2015-02-03

[イスラム国」に殺された二人の日本人の話題で、連日メディアがにぎわっています。 しかし、この二人にきわだった違いがあります。
その一人・湯川遥菜さんは、昨年8月中旬、内戦のつづくシリアで「イスラム国」にスパイ容疑で拘束されました。なぜそんな危険な戦闘地域に入ったのでしょう。新しい軍事会社の経営者として戦闘を実感したかったというのです。日本の平和にあくびが出て、軍事会社などという、戦争にあこがれる世代が出てきたのです。
ちょうど18世紀の天下泰平の徳川時代、ひと昔まえの戦国乱世に生まれていれば、身分の低い武士の「おれ」でも、「一国一城のあるじ」になれたのにと、戦乱の時代をうらやんだのと同じ心情です。人間には、不自由ない平和な暮らしに慣れると、あくびが出て、それに飽きるこころがあります。老人から戦争中の悲惨さを聞くと、自分もそんな体験をしてみたいものだとさえおもうのです。
もう一人の後藤健二さんは、その湯川遥菜さんを探して救い出すために、トルコ人ガイドの制止も振り切り、危険を承知で「イスラム国」に入りました。つまり後藤さんの死は、時代錯誤の湯川さん探索のため起こったのです。
彼はこれまで、ジャーナリストとして、中東や、アフガニスタンや、北アフリカなどの紛争地域を駆けめぐり、戦争のため教育もろくに受けられず、それどころか戦争に駆り出されたり、死傷してゆく子供たちのため支援活動をつづけたのです。彼がカメラのレンズを向けたさきは、激しい戦場ではなく、戦闘のため飢えた子どもや、悲しむ女性たちの姿でした。
テレビで、後藤健二さんが東京の日本基督教団・田園調布教会に通っていたことも知り、なるほどとおもいました。
やはり、自分のために生きるのでない、他人のために生き、また死ぬ。これが尊いのです。彼の死はイエスの言う「友のために自分の命をすてること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ福音書15・13)の死だったからです。後藤健二の名はのこるでしょう。
「Blessed are the peacemakers: for they shall be called the children of God」(マタイ福音書5・9)<写真は後藤健二さん>